雑多な話 薬とか菌とか(21/11/1)
脂漏性皮膚炎
頭皮が妙にざらざらするので皮膚科で相談したところ、抗真菌剤を処方された。
抗生物質ではなく抗真菌剤ということは、いわゆる細菌ではなく真菌(カビ、キノコ、水虫etc...)が増えているとお医者さんは判断したのだろう。おそらく私の頭では、マラセチアという誰の体にもいる無害な菌が悪さをして「脂漏性皮膚炎」が起こっている。
薬で免疫を抑えていると、ふつうの人の体では排除される病原体が増えてしまう。いわゆる日和見感染というやつだ。最近薬を変えたが、前やっていた薬は続けているとごく低確率でだれでも持っているウイルスに発症して廃人になる可能性があったので、今は多少マシと言える……のだろうか。
現状そこまで痒くはないのだが、皮膚がざらつくのは気になる。人前でよそ事をしている間ならなんとか耐えられるが、家ではつい触ってしまうのでナイトキャップを買った。
唐突なトリビア(菌・抗菌薬)
ところで細菌と真菌の違いはご存知だろうか?
大腸菌に代表される「細菌」は、細胞に核を持たない原核生物である。いっぽう、カビやキノコ、酵母は真菌と呼ばれる真核生物で、我々の細胞と同じく核を持っている。両者がDNAの情報をもとにタンパク質を合成するしくみには少なからぬ差異がある。
抗細菌薬の多くはこの差異を利用しており、真核細胞には働かず、細菌の増殖だけを抑制する。抗生物質の多くは、もともとは真菌が細菌をだしぬいて繁殖するために合成する物質である(アオカビの周囲で細菌が増殖しないのを観察してペニシリンが発見されたエピソードを思い出すとイメージしやすい)。そしてつまり、抗細菌薬は細菌には効くものの、真菌は駆除できない。
抗真菌薬は抗細菌薬とは別物である。とはいえ「人体への害は少なく疾患の原因には毒性がある」という理屈は同じで、我々と真菌の違いを利用した薬である。たとえば脂漏性皮膚炎に処方されるケトコナゾールは、真菌の細胞膜には存在するが人間の細胞には存在しない「エルゴステロール」の合成を特異的に阻害する。先述のとおり、真菌は細菌より我々に近い生き物なので、真菌に対して特異的に作用する(我々には効かず真菌には効く)物質は細菌に対するそれほど多くない。
抗生物質の定義は「微生物が産生し、他の微生物の発育を阻害する物質」である。抗生物質の中には、細菌に効くものも真菌に効くものもある。そして合成抗菌薬や合成抗真菌薬など、抗生物質以外の化学療法剤もある。
ちなみにウイルスは細菌とも真菌とも異なる。そもそも単独では増殖できないウイルスは生物ですらない。
最近詳しく知ったので、知識の整理がてら共有しておく。
というか抗生物質の定義も分野ごとに違うらしい。薬剤師や医師からクレームが来そうで怖いので、水虫は真核生物だが大腸菌は原核生物で、ウイルスは生物ではないこと、それぞれ効く薬は違うことだけを信頼できる情報としておいてほしい。公表するには多少の責任が伴うので慎重に調べるが、これは結構勉強になる。
ケチでごめん
勉強にこちらのサービスを使っている。
無料で使うには充実しすぎている。特にCSV入出力が優秀で、エクセルに覚えたい単語を一気に打ち込んでおき、まとめて単語帳にできる。見た目もすっきりしていておしゃれ。いくらか支援した。
単語帳は基本的に非公開にしているのだが、一冊だけ設定し忘れていて「いいね」がついていた。
どうしたものか。だまって非公開にすればいいのだが、減るものじゃないのに隠してどうするのか。しかし同じ勉強をしているのはライバルかもしれないわけで……。
私はかつてのハッカー界隈のような「知識は全部シェアする」雰囲気に憧れている。そして成果物を隠すのはポリシーに反している。とはいえ敵に塩を送りたくもないので、期限を設けて非公開にすることにした。参考書の切り抜き画像が含まれていて著作権的にアレかもしれないし。ケチでごめん。
選択
また本を自炊しに行った。勉強の本を持って行っているのだから当然勉強の話になり、苦手分野で手が止まるときの話をしたところ、「モチベ云々じゃなくて、瞬間瞬間でかっこいい自分を選んでいるかどうかでしかない」という金言を頂いた。
ビジネスをやっているだけあって、内発的動機に満ち満ちた人らしい言葉である。かなりマッチョだがひとつの真実で、迫られた選択を単純化すると「かっこいい方を選ぶか、言い訳するか」になることは往々にしてある。自分に言い訳しても、かっこ悪い方に行った己を恥じる心は雪げない。よそごとしている今だってかっこ悪い。
雑多な話 勉強とケモ夫人(21/10/30)
「勉強」←つよそう
「勉強」という響きがいかつすぎる。
「おやつ」「おめざ」「おさんぽ」「おひるね」「たんぽぽ」みたいな、優しい響きの言葉で置き換えたらもっとモチベーションが上がりそうなのだが。
「勉強」の字からして「勉める」「強いる」と基が進まない雰囲気を纏っているし、実際語源はそうらしい。
とはいえ知識の摂取、技術の習得に伴う忍耐や自律のイメージは言葉自体だけではなく、これまで触れてきた文脈によるところも大きいのであろう。小学生くらいの頃は、勉強はいつも外的な承認(=点数と順位)という報酬とセットだったため好きでたまらなかったが、高校生ぐらいからは勉強はしたいことをするために耐えなければならないものだった。瞬間瞬間で知的好奇心をくすぐられることが無かったでもないが、そうやってのめり込んだ結果構造決定のオタクになっただけで点数には繋がらなかった。
学校教育の構造について語ると学歴神話の崩壊、似非科学・反知性主義の跋扈について語りたくなるが、語っても仕方ないしこのへんにしておこう。
ケモ夫人
ケモ夫人 第一話 pic.twitter.com/vQzUbzeYlu
— 藤想@コミティアB10b (@kanon_pic) October 27, 2021
一見意味不明だがすごく普遍的なテーマを扱っている気がする。
人生に物語性はなく、劇的なものはめったにない。
そういう投げ出された感から目を逸らしたいからこそ、物語には説得力のある使命や因縁を求めてしまうのでは?
人は生んでくれと頼んでいないのに気づいたら存在している(cf.ミュウツーの逆襲)し、存在してしまっているがゆえに存在し続けるための戦いを強いられる。ちょうちょしか捕ったことのないお嬢様というケモ夫人の人物造形は、生きるための戦いを外部化してその場しのぎで生きている人の暗喩なのだろう。
そんな彼女が唐突に斧を持たされる脈絡のなさは、かえってリアルに現実の「投げ出された感」を表現している気がする。
「シドニアの騎士 あいつむぐほし」
サブスクで友人と観た(watch party)。
真面目に見ると25点、ツッコミながらなら80点、加点のみなら1000点のアニメ。
はじめに
加点ポイント
- 戦闘シーンの映像(+50)
- 迫力の音響(+50)
- 新型衛人(+100)
- 観ればわかる例のシーン(+800)
減点ポイント
- 説明台詞の多さ
- 先の読める展開
- ラブストーリー部分の茶番感
- 必要性を感じない新キャラ
- 補完されてますます意味不明になった科学者落合
好き
戦闘シーンはかっこいい。映像も進化している。音響は語るまでもない。
説明台詞の多さ、先の読める展開は減点ポイントに入れたが、友達と同時視聴する分には草を生やせていい。わけのわからないことが起こるとブリッジクルーか纈が説明してくれるし、フラグは必ず回収される。台詞の9割近くはいつか聞いたことのあるフレーズで構成されているので、アニメファンなら笑顔になる。
新型衛人はかっこいいし、例のシーンはさすがに熱すぎる。わかる人ならあれだけで満足。
勢威さん大好き。
いまいち
王道の展開をなぞりつつも、魅力的なガジェットや物理学に忠実な描写(加速で構造物が壊れる、燃料を節約するために噴射を最小限にする、水に浮くために衛人の脚部に付けるフロートがやたら大きいetc)が魅力的な原作だったが、本作はいろいろ説得力に欠けた。私が思うに二瓶勉らしさはディティールに宿っているのだが、本作はテンポを重視しすぎて細部に目を向ける余裕がなく、説明台詞がないとピンとこないものが多すぎる。
新キャラの若い操縦士の必要性が皆無。彼らによって物語に奥行きができたかというとそんなこともない。シドニア男性陣からの人気No.1である市ヶ谷テルル(CV:田村ゆかり)に尺を回してほしかった(彼女のエピソードをやるには作品自体の尺が足りなかったのだろうが)。
つむぎとのラブストーリーは個人の好みか。
海苔はもっと活躍させてもよかった気がする(ブランクがあるので当然といえば当然という二瓶勉的リアリティなのか)。
何より問題なのは科学者落合の自己満コミュ障ぶりで、もったいぶらないで小林に計画の全容を話していればよかったと思わずにはいられない。落合が大暴れしてたくさん人を殺した理由が(人類の敵ムーブをする理由が)よくわからない。小林にかまってほしいのか?
「ガウナとの対話の可能性/シュガフ船の情報の継承」と「(共同体としての)人類種の存続」が必ずしもトレードオフとは考えられない。なんなら落合と小林が協力して、シュガフ船を残したままシドニアを安全圏まで退避させてやり、落合は研究を続行すればよかったと思う。落合(とララァ)にはあてどない時間が残っているわけだから……。
総評
つむぎと長風のラブストーリーに尺をとるためか、台詞もモノローグもやたら親切に視聴者に説明してくれて不自然さが目立つ。原作は作者の「こんなヒロイン良くない?」「こんな展開好きでしょ?」を詰め込みつつも、ロボットアニメのお約束をあえて外したり説得力のある理由付けをしたりすることで、娯楽的面白さと知的好奇心を同時に満足させうる作品だった。ところがこの劇場版は、テンポを重視した結果SFのSがかなりスポイルされ、結果的にどっかで見た展開、どっかで聞いたフレーズのパッチワークとなっていて、目新しさのほとんどない、これまでに築かれたモチーフを消費するだけの作品となっている。調理の仕方次第ではロボットアニメ界の「シン・ゴジラ」的な、ジャンルを解体・再構成する作品になりえただけに、アニメでそれが行われなかったことが個人的には残念。
ストーリーと脚本の整合性の観点からは、落合と小林艦長の行動の脈絡のなさ、軽率さが致命的。
それでも声優の熱演、戦闘シーンの迫力、例のシーンはかなりいい。
雑多な話(21/10/27)
半額のパン・俺・店員
徒歩3分以内のところにドラッグストアがあるので、ちょっとした買い物のついでに半額のシールが貼られたパンを買ってしまう。
ヤマザキ・ダブルソフトが安くなっていたときは即冷凍に回す。その他菓子パンはおやつ。
単純に安いし、選ぶために判断力のリソースを割かなくていいので「半額のパンを買う」という習慣は気に入っている。しかし、店員から「半額のパンを買っていく男」と覚えられてはいまいかと少し気になってしまうことがある。そう認識されて何も困ることはないのだが、「(エコバッグに)お入れしましょうか」と聞かれたときにちょっと気になってしまう。あったところで仕方ない自意識を消し切れていない。
牙狼剣を押し込め!!
もう一つ、不思議なことがある。サイコロや宝くじのような純粋な確率ゲームでは、当たりの確率は、賭をする人自身が当たり外れの過程に直接関わるか否か(くじを買ったりサイコロを転がしたりする)に関係しない。しかし、多くの研究が示すところによると、根本的にはランダムな事象であっても、賭ける人自身が個人的な関わりを持つ方が、賭ける金額が多く、そして長くギャンブルを続けるようになるのだ。場合によっては、直接的な関わりを持つ気持ちがゲームの行動のあり方に影響することすらある。たとえばサイコロを振るとき、プレイヤーは、小さい数を出そうとするときのほうがそっと転がす傾向がある。ニアミス効果[惜しいハズレの時はアタリの時と同じくらい多く快楽物質が分泌される]や直接介入効果は一般の人々の間でも見られるが、ギャンブル依存症者の間ではごく当たり前のことだ。ケンブリッジ大学のルーク・クラークらは、ギャンブルの持つこうした非合理的な側面について二つの仮説を立てた。スロットマシンのニアミスで快感回路が大きく活性化するだろうということと、完全にコンピューター側がコントロールしているという形よりも、プレイヤー自身が何らかのコントロールをしているという形のほうが活性化が大きいだろうという二つだ。
(コンピュータによる抽選と自分でリールを止める場合の気持ちの評価の実験。内容の説明は省略)
従来の研究を裏づける形で、固定リールの位置を自分で決めるときのほうが、勝つ確率の評価も、ゲームを続けたいという気持ちも高かった。また、勝ったときに満足した率も、自分で絵柄を決めた試行のほうがコンピューターに決められた試行のときよりも高かった。ニアミスのときは、完全な外れに比べて満足度は低かったが、続けたいという気持ちの喚起では同じだった。
「快感回路 なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか」ディヴィッド・J・リンデン 岩坂彰訳 第6刷 河出書房新社 2021.6.30
パチンコとは縁のない私も知っている、かの有名な「牙狼剣を押し込め!」は、抽選には関係ないらしい。しかし、抽選に関与している感覚を強化することには寄与しているのだろう。
パチンコの話は完全に他人事だが、どんなゲームも全て「関与している感覚→抽選→当選・落選(ニアミス)」というプロセスでプレイヤーの嗜癖を強化している気がする。
あと、「カードゲームは紙でやる方が楽しい」という意見も、この「コンピュータの抽選ではなく自分で引いている」という事実が気持ちいいことに根差しているのではないだろうか。
勉強と脳内麻薬
抽選や不確定な報酬の予告(いいことがあるかもという期待)は、確定した報酬の予告より多くの脳内麻薬を分泌するらしい。
だとすると、テストの出題をたまにわざと偏らせて「上振れる」ようにするとみんな勉強が好きになったりしないだろうか。
あるいは、自分の知識量の伸びが自分の取り組み以上に感じられるように己の認知を歪めれば、やたらめったら勉強が楽しくなったりしないだろうか。
後者は自分ひとりで実践できそうなので、その方法をたまに考えてみることにする。
雑多な話(21/10/15)
前書いた記事を今更公開 書いても出さないダサい展開はいわば"馬鹿です"って自己紹介 一回のミスなんてずっと後悔してらんねえ ライムかまして馬鹿さ韜晦
(しょうもないレベルで)現実を手繰り寄せる
以前、自分で選択し見届けたいと書いたが、特訓はづきさんを使うかをいちいち友人に相談してしまった。
今後アイツより強いあさひが実装されるかなんて神とバンナムのみぞ知ることなので、逡巡しても相談しても仕方のないことである。
ではなぜ聞いたか……と考えてみると、一人で決断するのは寂しい、背中を押してほしい、ただなんとなく話がしたいなど主体性に欠ける動機しか思いつかない。自戒。こういうところにも、自分で選択するチャンスは転がっている。
会社
自分で決めることにこだわり始めると、上意下達の組織である会社に個人の決断が介在する余地なんて無い気がしてくる。
本当にそうだろうか? 堂々とサボる、上司にたてつく、出社しないといった破天荒な行動も選択肢としては存在している。つらいつらいと言っている会社員は、破天荒な行動によって被るデメリットと我慢するしんどさを秤にかけて、我慢するという決断をしている筈だ。
実際サボっている友達の話を聞くと心底そう思う。彼自身は嫌々ながらでもいいから責任を持てるようになりたいと言っていた気もするが。
されど、合理的判断に基づき自分で引き受けたとしても、我慢するしんどさが消えるわけではない。破天荒な択をとってスッキリしても、そこに伴う予期せぬ苦しみもあるはず。結局みんな愚痴は言うのだろう。
納得だけでは相殺できないつらさもある。そう言う視点は欠けていた。
自炊スペース(not 貸しキッチン)
でかくてかさばる本たちを小さくするため、レンタル自炊スペースで電子化してみた。
作業は自分でするものと思ってやり方については下調べしたが、店主が手伝ってくれたおかげでつつがなく終わった。
今回自炊したのは専門書やTOEICの参考書ばかり。小説はバラさない。
悔いのない人生
リョーマ!の入場特典を身近なテニプリファンにあげようと思い、中学時代部活でダブルスを組んでいた男に連絡して会ってきた。
彼と同じくテニプリファンの妻と二人暮らしなのだが、自宅に招いてくれると同時に、妻のおめでたを報告してくれた。ようやくつわりが落ち着いてきたらしい。お邪魔する前に家に届くよう、お祝いをポチっておいた。
妻との生活について話す彼はとても幸せそうだったし、彼が時折妻に向けるまなざしや、二人の間に漂う空気には間違いなく愛があった。普段はヒトの個体数増加にも他人の仲睦まじい様子にも感慨を持つタイプではないが、何か込み上げるものがあった。
帰りの車で「結婚や子育てで諦めなきゃならなかったこととかない?」と聞いてみたところ「無いなぁ……引き返せない感じはどんどん強くなったかも笑 でも何が心残りかと言われたらなんにもない!」と断言された。ある種の義務感や焦りから結婚・子育てをする人が多いという世界観を持ちつつあった私にとってとてつもないカルチャーショックだった。世の中捨てたもんじゃない。
雑多な話(21/10/06)
跡部様
リョーマ!を見て以来、ふいに跡部様の声が胸に呼来することがある。
「逃げて回って掴んだ栄光なんて、俺様にとっちゃ無価値」
「今の自分を誇れるか誇れないか、ただそれだけだぜ」
かなり励みになるアツい言葉だ。大学のテストで不可になりそうな時は迷わず途中退席し欠席扱いにしていた私は身につまされる。
跡部様のように全てに正面からぶつかって生きられる程強くはない。それでも、誇れる自分になるために後一歩踏み出したい、立ち向かいたいと思うことのある私にとって、何度でも聴きたいセリフである。
『ポスターでも貼って、跡部様を思い出すことで自分を鼓舞してみようか……』
そんなふうに考えたところで、雌猫の皆様はこういう動機で跡部グッズを集め、大量のハガキを書いたりしていたのかも……と想いを馳せた。どうなんだろう?
ポスターは貼らないが、サントラは買いたい。
今回付き合ってくれた割とテニプリに詳しい友人は、「時を越えて大して親交の深いわけでもないライバル校の部長に電話が繋がってアドバイスされる」という展開にバカウケしていた。跡部の声がしてリョーマが嫌な顔をしたのは、何かされたとかではなく単に癖の強い奴認定しているからとも教えてくれた。面白すぎる。
現実を手繰り寄せて
何をしても無駄で、大きな状況に流される方がいい、と思うことは結構ある。
というか、私は本来人間に自由意志などないと思っている。自分で決めたと思っている選択も、生育歴や受けた教育、見た広告などの環境要因に決められているところが大きくて、結局は外部からの干渉の積み重ねで人の意思は決まるのではないか。
現実は複雑であり、因果は大抵一対一で対応しない。頑張ったからいい結果が得られる、努力した結果いい結果が得られるという論理は大抵事実に即していない。試合に勝てるのは対戦相手の朝ご飯が傷んでいたからかもしれないし、大学に受かるのはたまたま小学校時代にトイレで手を洗わなかったからかもしれない。現実の現象に、法律の演習問題や教科書の科学実験のような明確な因果はない。
それでも人が人生は自分で選んでいると言うのはなぜか。そのような規範と法律が存在し、大多数が因果をはっきりさせる世界観で生きているから、そうでない考えでは社会に馴染まないのだろう。
そこまで客観視できても、私はやはり「個人の判断は無意味」とは思いたくない。
現実にはあまりに色々な要因が複雑に絡み合っていて、ひとりの人間に掌握はおろか把握することすらままならない。しかし、その事実をそのまま受け止めたとき見えるのは、何を決めても何も変わらない、死んだ世界なのではないだろうか。諦観しないためにも、選択によって起こったことの結末を見届け、己の選択の結果として受け止めたい。
だからこそ、登場人物が「仕方ないから」と言い訳をせず「夢だから」「役に立ちたいから」「ゾクゾクするから」「好きだから」という動機にまっすぐ踏み出す「リョーマ!」の世界観と、それを応援してくれる劇中歌の歌詞が心地よかった。
雑多な話(21/10/05)
だるい(破)
今日は本当にだるくて何もできていない。
昨日は数ヶ月ぶりに筋トレした後気合いで勉強したが、今日は何もできていない。
2回目だから変化をつけようと(破)などと付けたが変化は無い。気分転換も兼ねて、薬局に行き、菓子パンで糖質の補給を試みたが何もない。無。
Tシャツ
教科書参考書がデカすぎるので電子化を考えている。ついでにほかの嵩張る本も電子化しようと書棚から候補を挙げていると、ふと閃いた。
「文化産業批判の文章をQRコードにしてTシャツにしたら面白いんじゃね?」
とはいえ、ちょうどいい文章を探そうにも、今アジトにはアドルノの「ミニマ・モラリア」しかなかった。とりあえずその中から、変なTシャツ自身も該当しそうなこの一節をQRコード化し、これをでっかくプリントしようと考えた。
が、やめた。
何度か使っているサイト。少枚数から作れて安いのでオススメ。どのくらい安いかというと、送料込み1着でもユニクロよりほんのちょっと高いくらい。