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雑多な話(21/10/27)

半額のパン・俺・店員

徒歩3分以内のところにドラッグストアがあるので、ちょっとした買い物のついでに半額のシールが貼られたパンを買ってしまう。

ヤマザキ・ダブルソフトが安くなっていたときは即冷凍に回す。その他菓子パンはおやつ。

単純に安いし、選ぶために判断力のリソースを割かなくていいので「半額のパンを買う」という習慣は気に入っている。しかし、店員から「半額のパンを買っていく男」と覚えられてはいまいかと少し気になってしまうことがある。そう認識されて何も困ることはないのだが、「(エコバッグに)お入れしましょうか」と聞かれたときにちょっと気になってしまう。あったところで仕方ない自意識を消し切れていない。

牙狼剣を押し込め!!

 

もう一つ、不思議なことがある。サイコロや宝くじのような純粋な確率ゲームでは、当たりの確率は、賭をする人自身が当たり外れの過程に直接関わるか否か(くじを買ったりサイコロを転がしたりする)に関係しない。しかし、多くの研究が示すところによると、根本的にはランダムな事象であっても、賭ける人自身が個人的な関わりを持つ方が、賭ける金額が多く、そして長くギャンブルを続けるようになるのだ。場合によっては、直接的な関わりを持つ気持ちがゲームの行動のあり方に影響することすらある。たとえばサイコロを振るとき、プレイヤーは、小さい数を出そうとするときのほうがそっと転がす傾向がある。ニアミス効果[惜しいハズレの時はアタリの時と同じくらい多く快楽物質が分泌される]や直接介入効果は一般の人々の間でも見られるが、ギャンブル依存症者の間ではごく当たり前のことだ。ケンブリッジ大学のルーク・クラークらは、ギャンブルの持つこうした非合理的な側面について二つの仮説を立てた。スロットマシンのニアミスで快感回路が大きく活性化するだろうということと、完全にコンピューター側がコントロールしているという形よりも、プレイヤー自身が何らかのコントロールをしているという形のほうが活性化が大きいだろうという二つだ。

(コンピュータによる抽選と自分でリールを止める場合の気持ちの評価の実験。内容の説明は省略)

従来の研究を裏づける形で、固定リールの位置を自分で決めるときのほうが、勝つ確率の評価も、ゲームを続けたいという気持ちも高かった。また、勝ったときに満足した率も、自分で絵柄を決めた試行のほうがコンピューターに決められた試行のときよりも高かった。ニアミスのときは、完全な外れに比べて満足度は低かったが、続けたいという気持ちの喚起では同じだった。

 

「快感回路 なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか」ディヴィッド・J・リンデン 岩坂彰訳 第6刷 河出書房新社 2021.6.30

パチンコとは縁のない私も知っている、かの有名な「牙狼剣を押し込め!」は、抽選には関係ないらしい。しかし、抽選に関与している感覚を強化することには寄与しているのだろう。

パチンコの話は完全に他人事だが、どんなゲームも全て「関与している感覚→抽選→当選・落選(ニアミス)」というプロセスでプレイヤーの嗜癖を強化している気がする。

あと、「カードゲームは紙でやる方が楽しい」という意見も、この「コンピュータの抽選ではなく自分で引いている」という事実が気持ちいいことに根差しているのではないだろうか。

 

勉強と脳内麻薬

抽選や不確定な報酬の予告(いいことがあるかもという期待)は、確定した報酬の予告より多くの脳内麻薬を分泌するらしい。

だとすると、テストの出題をたまにわざと偏らせて「上振れる」ようにするとみんな勉強が好きになったりしないだろうか。

あるいは、自分の知識量の伸びが自分の取り組み以上に感じられるように己の認知を歪めれば、やたらめったら勉強が楽しくなったりしないだろうか。

後者は自分ひとりで実践できそうなので、その方法をたまに考えてみることにする。