無選別

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雑多な話(21/10/15)

前書いた記事を今更公開 書いても出さないダサい展開はいわば"馬鹿です"って自己紹介 一回のミスなんてずっと後悔してらんねえ ライムかまして馬鹿さ韜晦

(しょうもないレベルで)現実を手繰り寄せる

以前、自分で選択し見届けたいと書いたが、特訓はづきさんを使うかをいちいち友人に相談してしまった。

今後アイツより強いあさひが実装されるかなんて神とバンナムのみぞ知ることなので、逡巡しても相談しても仕方のないことである。

ではなぜ聞いたか……と考えてみると、一人で決断するのは寂しい、背中を押してほしい、ただなんとなく話がしたいなど主体性に欠ける動機しか思いつかない。自戒。こういうところにも、自分で選択するチャンスは転がっている。

会社

自分で決めることにこだわり始めると、上意下達の組織である会社に個人の決断が介在する余地なんて無い気がしてくる。

本当にそうだろうか? 堂々とサボる、上司にたてつく、出社しないといった破天荒な行動も選択肢としては存在している。つらいつらいと言っている会社員は、破天荒な行動によって被るデメリットと我慢するしんどさを秤にかけて、我慢するという決断をしている筈だ。

実際サボっている友達の話を聞くと心底そう思う。彼自身は嫌々ながらでもいいから責任を持てるようになりたいと言っていた気もするが。

されど、合理的判断に基づき自分で引き受けたとしても、我慢するしんどさが消えるわけではない。破天荒な択をとってスッキリしても、そこに伴う予期せぬ苦しみもあるはず。結局みんな愚痴は言うのだろう。

納得だけでは相殺できないつらさもある。そう言う視点は欠けていた。

自炊スペース(not 貸しキッチン)

でかくてかさばる本たちを小さくするため、レンタル自炊スペースで電子化してみた。

作業は自分でするものと思ってやり方については下調べしたが、店主が手伝ってくれたおかげでつつがなく終わった。

今回自炊したのは専門書やTOEICの参考書ばかり。小説はバラさない。

悔いのない人生

リョーマ!の入場特典を身近なテニプリファンにあげようと思い、中学時代部活でダブルスを組んでいた男に連絡して会ってきた。

彼と同じくテニプリファンの妻と二人暮らしなのだが、自宅に招いてくれると同時に、妻のおめでたを報告してくれた。ようやくつわりが落ち着いてきたらしい。お邪魔する前に家に届くよう、お祝いをポチっておいた。

妻との生活について話す彼はとても幸せそうだったし、彼が時折妻に向けるまなざしや、二人の間に漂う空気には間違いなく愛があった。普段はヒトの個体数増加にも他人の仲睦まじい様子にも感慨を持つタイプではないが、何か込み上げるものがあった。

帰りの車で「結婚や子育てで諦めなきゃならなかったこととかない?」と聞いてみたところ「無いなぁ……引き返せない感じはどんどん強くなったかも笑 でも何が心残りかと言われたらなんにもない!」と断言された。ある種の義務感や焦りから結婚・子育てをする人が多いという世界観を持ちつつあった私にとってとてつもないカルチャーショックだった。世の中捨てたもんじゃない。