無選別

訳ありの記事がお手頃で

光明

病んでいるのがあからさまで封印しようとしていた記事を公開した。

心境の変化があって、そんな難しく考えることもないのかな、と思えてきたからだ。

入院(一年半ぶりn回目)

また入院していた。

検査入院みたいなものなので、大して気落ちはしていなかった。

入院するのは何度となく入院してきた病棟。もう別荘みたいなものだ。一日三千いくらで三食飯付き。

コロナ禍の最中なのでPCR検査が必要だった。手続きに誤りがあったとかで、お医者さんと軽く雑談していた。かなり若く見えたが私より歳上と聞いて驚く。これぞマスクの威力。

鼻に綿棒を突っ込まれると、同じ側の目だけから涙が出てくるのが面白かった。

試料を採取されたらプレハブ小屋に移される。一畳ばかりの部屋が5つほど横並びに並んでいる。各部屋の正面には壁がなく、代わりにビニルカーテンで外界と隔てられている。中にはソファが置いてあり、一部屋ごとにエアコンがついている。同じタイミングで案内されたおばちゃんと二人で「随分ものものしいですね」などとおっかなびっくりしていた。

30分程後に結果がわかり、陰性。病棟へ上がっていく。

病室ガチャ

入院初日の担当の看護師は新人だったらしく、「本お好きなんですか?」「私もです、読んでると時間忘れちゃいますよね〜」「お勉強されてるんですね。先生なんですか?」などと積極的にコミュニケーションを取ってきキュンキュンした。患者を観察して話すきっかけを見つけ、うまく関係を作るように学校で習うのかもしれない。キモいことは隠す。

今日の担当看護師は可愛くて嬉しい!当たりとして、もっと重要なことがある。

同室の患者だ。

病室は4人部屋で、期間中ずっと一緒の可能性がある。あとの3人が不機嫌にならないこと、管を引っこ抜いたり看護師に当たったりする不快な人でないことは、安眠と精神衛生のためにとても重要だ。実際全てを兼ね備えた大害悪が同室だったときは最悪だった。

今回はというと、皆割りかし静かで良かった。

向かいの部屋の初老の男性は声がデカかったが、機嫌が悪くはないので大して不快でもない。今回は当たりだ。

と思っていたら、いびきと寝言が全員クソうるさかったが。まあ、イヤホンでカバーできるのでセーフ。

向かいの人

向かいのちょっと声のデカいおっさんは、いつもカーテンを締め切っているのでわからないものの、どうやら首から下が麻痺しているようだった。食事時に看護師に助けてもらっていた。お手洗いに行くこともできないらしく、排泄はおむつにし、その度に看護師を呼んでいた。ベッドの硬さに文句を言ったり(床ずれ防止のため、寝返りを打てない患者のベッドはエアマットでフニャフニャだ)、家族との面会ができないことに文句を言ったり、耳かきをしてもらったりと色々注文が多かったが、何かしてもらうごとに「ありがと↑う」と関西弁イントネーションで言うので憎めなかった。でも看護師から「業務の範囲じゃない」と言われつつも耳かきをしてもらっていたのは許せん。

看護師とデカい声でよく話すので、数日したらいろいろわかってきた。バイクとバス釣りが趣味で、退院したらまたバイクで釣りに行きたいらしい。半身の自由を失ったら、生半可には叶わないであろう希望。

はっとした。

いきなり麻痺になったらもっと落ち込んで、恨み言でもしそうなものだ。私も看護師に当たりこそしなかったが、家族に対してはかなり情緒不安定だった。このおっさんにはそれがない。

上手く人を頼り、先を見て生きている。素敵だと思った。

もっとも、彼の願いはどうせ叶わないという憐れみも強かったが。

 

ある日、向かいのカーテンの中から「あれ、届かん……」と声が聞こえてきた。「ナースコールですか? 看護師さん呼びましょうか」とカーテン越しに聞くと「お願い」とのことなので、代わりに自分のナースコールを押し、事情を説明した。

「プリンくん、ありがと↑う。助かったわ。ありがと↑うねえ」と礼を言われたとき、久しく忘れていた類の喜びを覚えた。

またある日に聞こえるには、これまでご飯を食べさせてもらっていたおっさんが、自分でフォークを使って食べているようだった。

驚いた。そんなに治っていくものなのか。

目標があると治りが早いというのは事実のようだ。

別の日、鳴っている携帯電話に手が届かずに居る彼に声をかけて助けに行き、初めて顔を見た。入院が長いようで髪が伸びていたが、身なりを綺麗にしたら堺正章に似ていそうな、細身で笑い皺のある人だった。

カーテン越しに、もう携帯を手で持てるのを祝福したら、再三看護師に話しているのでよく知っているバイクの話をしてくれた。片手じゃまだ乗れないというので「もう片手ならそのうち両手、その次は足じゃないんですか」と励ましておいた。

本心からの希望だった。またバイクに乗って欲しいと、心の底から願っていた。

光明

元々長引く理由もない私は、当然おっさんより先に退院を迎えた。

「今日で退院なんですよ、今までありがとうございました」と伝えると「良かったなあ。こちらこそ。俺はなんもしてへんけどな」と言うので、「○○さんが前向きだから、頑張ろうって思えました。バイク乗れるといいですね。早く良くなるといいなって思ってます」ときちんと伝えられた。同じ部屋になれて幸いだった。

聞いたところバイク事故ではなく、ウイルス性の神経炎だそうだ。元々手先の痺れで、整形外科に行っても原因がわからず、手先以外もあまりに痺れるようになり、総合病院に来たら即日入院だったらしい。小さな病院のせいで発見が遅れる、私と同じパターンだ。単科の病院も他科の病気の可能性をちゃんと検討してほしい。

最後にいろいろ話をした。彼の釣りスポットは無理なく行ける距離だったので、夢が叶ったらたまにそこに行くと伝え、共に再会を願って別れた。

半年でまたバイクに乗りたいと言っていた。できるかなんて分からないが、きっと彼は乗れるようになるまでリハビリに励めるのだろう。

 

ベッドにもたれて隣の部屋に向かって話す私を見て、書類を渡しに来た看護師が何やら得心したようだった。

理由を笑いながら教えてくれた。

ナースステーションでは、私は一人でしゃべっている変人扱いされていたらしい。

スターイーター

だからあなたは 落ち込んでいる時にこそ 他の落ち込んでいる人をはげましなさい