習慣は守ろう
10年近くつけ続けた紙の日記をつけるのをやめたところ、気分に無視できない影響が出てきたのでブログを綴っておきます。
なぜ日記をやめたのか?
理由は3つ。
- 疲れて書けなかった
- 平日が代わり映えしなすぎた
- 酒浸り
……なんか変なのが混じっていますが、気にしない、気にしない。
疲れて書けなかった
枯れ果てた元気
仕事から帰るとフラフラです。
私はもともとはムキムキとは言わないにしろかなり鍛えていたのですが、度重なる入院で手足は痩せ細ってしまいました。体幹は贅肉で太さを維持してしまっているので、無垢の巨人みたいな体形になっています。
とにかく、体力が衰えて帰宅後一切の活動をする体力がなくなってしまった結果、帰ったら夕飯を食べ、入浴し、一時間ほど椅子に根を生やしてぼーっとし、そのまま寝るという生活が習慣になってしまいました。
優しい言葉に甘えてしまった
結果、それなりに自己嫌悪をしていました。本当にこれでいいのか。私は仕事をするだけの生物なのか?いや、仕事だって人並みにはしていない。
ダニだ。
変な病気になって生産性を下げ、挙句健康保険を大量に支給されている。会社の血液を吸うだけのダニ……
などと自己嫌悪を深めていました。
そんなことを口に出してみると、家族や医者は休むのが先決だと言います。最初は意地を張って何かしよう、何かしようと頑張るのですが、結果は椅子で茫然としていただけというのは先述の通り。
無力。どうしようもなく無力。
そうして、自分は無力じゃないという否定のための試みがくじかれると、ささくれた心に優しい言葉が染みるのなんの。
ああ、今はゆっくり休もう。仕方ないよね。
そんなこんなで、腑抜けている自分を慰めて、ダラダラと過ごしていました。
平日が変わり映えしなすぎた
変化を探すのをやめる
日記をつけるのをやめると、「今日はこれを書こう!」という思いつきは無くなるし、身近な出来事に何かしらの感想を抱いたり、それを記憶あるいは記録しておこうという動機もなくなります。結果、変わったことに心が動いても、その原因を心の腕でとらえようとはしなくなります。なんでアレが気になってしまったんだろう?などと考えることが減りました。健康になったと言えば健康になっているとは思いますが、感受性は鈍っていたように思います。
実際代わり映えしない
まあ、そんな内省はさておき、実際仕事の中で心を揺さぶるようなことが滅多にないということが言えます。かえって悲しいくらい。
多少の事では感じない、かさついたメンタルに、あまりに凹凸のない日々はつらい。
嬉しいことが無いだけで悲しいと感じるのは明らかに健康的じゃない。気がする。
酒浸り
ゴールデンウィークと酒
GWは帰省している友人らと毎日のように酒を飲んでおり、「今日は酒飲んじゃったし明日書こう」などといって後回しにする日が少なくない……というか毎日でした。
当然、明日も酒、明後日も酒、その次も酒だと日記なんていつまでたっても書きません。
なんだかんだでこれが一番大きい要因だった気がします。情けない。
やめてよくなかったこと
後悔してしまう
「毎日できていたことができなくなった」と自分でもわかる形で衰えが見えてしまうのは、悔しいし悲しい。
再開しにくい
毎日やっているおかげで続いていたものは、一回途切れると「もう記録切れちゃったしまあいいや」と、続けるインセンティブがガタ落ちします。完璧に続けていたなら特にそう(私は毎日大学ノート4行以上日記をつけることを己に課していました。)。
守ろう!習慣
習慣は守ってこそ!という気がしてきたので、これから取り組もうと思っていることを列挙しておきます。
1.つらくても日記はつける
何がつらいかだけしか書かなくてもいいから日記は書いた方がよさそうです。
2.習慣については優しさに甘えない
これまでできていたことを捨てるのは敗北宣言に他ならないので、そこは譲れない一線として守ったほうがよさそうです。
3.日記がつけられなくなるまで飲まない
言うは易しと言われないよう、肝に銘じなくてはなりません。
今夜日記をつけられなかったら、今日のことは一生つけないかもしれない。
今日は唯一無二の一日。
3が守れるか不安ですが、とにかく習慣だけは守ると決めました。
日記が一ヶ月分欠けたのも、今後書かなくてもいい理由にはなりません。
やるぞ!