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【Twitter】今、お気持ち表明がアツい!

溢れる言い訳

今日の課題

母親がスマホ使って何が悪い

唐突だが、このツイートを見て欲しい。

 

お気持ち

このツイートのお気持ちを抜き出してみる。

  • スマホは便利
  • ガラの悪いにいちゃんはスマホを使う母親に厳しい
  • おばちゃんはスマホを使う母親に厳しい
  • 世間は母親に厳しい一方で、雑誌は男性にはスマホを紹介する
  • スマホを使う母親を攻撃する前にちょっと冷静に考えてほしい

これらのお気持ちには、私自身概ね共感できる。

私が疑問に思うのは、なんでそんなことまで発信せずにはいられないのか、ということである。

一般化してみる ~世間に蔓延する「自信のなさ」~

なぜお気持ち表明しなければならないのか?

そもそも、母親がスマホを使ってはいけないなんて法律はない。

だから、使ってもいいと思うならば使えばいいし、使わない方がいいと思うなら使わなければいいのである。

でも、多くの人がこれについて意見を述べ、共感している(し、私もこうしてお気持ちブログを書いているわけだ)。

ところで、そもそもである。

なぜこの母親は心無い人々に反論するために漫画を必要としたのか?

なぜこの人は理不尽な誹りを「うるせー! 知らねー!」と撥ねつけず、「ちょっと考えてほしい……」とのお気持ちを表明するだけで終わっているのか? 

この漫画はいわゆる「白ハゲ漫画」と呼ばれるものの派生で、「メモ帳スクショ」と双璧をなす近年のTwitterの潮流であるように思う。

これらに通底しているのは、「同意の希求」と「理不尽への怒り」なのではないかと思う。

 なぜ、人は群衆に正当性を叫ばなくてはいけないのか?

 なぜ、俺がこうだからこう、ではいけないのか?

  • 白ハゲ漫画
  • メモ帳スクショ
  • 反論クソリプ
  • 放火(炎上狙い引用RT)

こういったものが巷にあふれかえっている原因として、かなり恰好をつけた言い方になるが「自己肯定感のデフレ」があるのだと思う。

何一つ統計を取っていないから完全に与太話なので、「そんなことない!間違えた奴が燃えるんだ!」と思っている人はスルー推奨、ブラウザバックして欲しい。

「自己肯定感のデフレ」

先に挙げた自己肯定感のデフレは、情報の受発信を繰り返すことでどんどん強化されるのではないかと考えている。

自分の意見をいいね!などで肯定され、あるいは自分と異なる意見に抗議することで(意見を撤回させて)否定すると自尊心を得られる。これは、少なくとも私はTwitter経験を通じて確信している。

しかしながらそれは外付けの自己肯定感であり、延々といいねの受信を繰り返すか、粘着するなり次の火種を大きくするなりで否定を繰り返すことでしか維持できない。

こんな仮説を持っているが、検証のしようがないので、教育学部の学生さんかなんかに統計をとってもらいたい。卒論にまとめられたら私に見せてほしい。

原因に関する仮説

こんなにも、世の中に自分の一挙手一投足に自信のないひ弱な人間や、「愚かな人」「差別主義者」「前時代的な人」を軍隊アリのように集団で攻撃する人間があふれているのはなぜなのか。

私個人としては、ダイバーシティの時代との名目で多様な価値観や生き方などが認められる一方で、個々人の人生を肯定する、「これならいい」という基準がどこにもないことがあるのではないかと思う。

自分のありかたへの寄る辺なさを抱えた個人が、群衆の叫びに寄る辺を求めているのではないか。

根拠はない、私がそう言っているだけである。

届かぬ理想世界

あとは、「差別も格差も無い世界」「モラリストだけの世界」への偏執めいた希望である。

三種のチーズ牛丼顔(元ツイートが「焼失」したらしく、見つけられなかった)の件は記憶に新しい。

何の科学的・統計学的根拠もないのだから、就職が決まらない人がみんなあの顔をしているという与太話なんて一笑に付しておけばいい。

それなのに大量のクソリプが集まるのは、ああいった偏見を持つ人間、そしてそれが存在するという現実世界への、恐怖の表れなのではないだろうか。

「こいつは間違っている」という確信があるのなら無視すればいいのに、自ら排除にかかるのは、リプライを送る者たちの「それは間違っている」との確信が揺らいでいる証左にほかならないのではないか。

「悪いやつ」の敗北を見なければ、世界の正しさなど肯定できないのである。

むしろクソリプする方々は、外見・性への差別や偏見の無い未来の到来に、確信が持ててはいないのではないだろうか。

抜け出すためには

情報過多の世界で、自己肯定感が薄れる連鎖から抜け出すための方法はいくつもあると思われる

例えば

  • 自分にも他人にも偏見はあるのだと受け入れる
  • 自分は棚に上げる
  • 話せばわかると思わず、対話を試みない
  • 意見を発信しない
  • 意見を受信しない

とかである。

そもそも私も自己完結できていないので、これから取り組むしかない。

要は何が言いたいのか

 

 早くこれになりて~!

クソリプしてやっつけようとしたところでこいつの自己肯定感を我が物にすることはできないので、クソリプマンはこいつに嫉妬して一生を終えるのだろう。