S.A.C._2045を観よう
コロナで部屋に缶詰。なんとなく鬱々としてくる気分。インドア派でも、なんだかんだ自宅待機は退屈。名作映画もだいたい見飽きたし……。
じゃあ新作を見ればいい!
そこでS.A.C.2045ですよ!
攻殻機動隊 S.A.C._2045
ええ……でも攻殻機動隊ってなんかわけわからんやつでしょ?
シリーズも長いらしいし……。
大丈夫! 追ってなくてもわかります。「相棒」は途中から見たってなんとなく楽しめるでしょう。
S.A.C.も同じです。
こんだけ暇なら、その気になれば前作までを履修するのも余裕だし。
そもそもSACって何?
「スタンドアローン・コンプレックス」の略です。
独立した個人が、結果的に集団のように振る舞う現象。第一作で主人公・草薙素子が名付けました。
わかんなくていいです。が、今作もSAC要素が登場します。
どんなアニメなの?
世界観はSF、作風はサスペンス+アクションといった感じです。
個別の事件の裏で大きな陰謀が……というのは本当に刑事ものっぽいです。
攻殻機動隊という作品群の特長は
といえます。
例えば原作漫画は、記憶の外部化やネットの偏在化による超ユビキタスな社会を描いていますが、「合成映像越しに会議に出席しつつ自分はオフィスで足裏に水虫薬を塗っている政府高官」みたいなもっと身近で予言的な一コマも出てきます。
押井守版では「身体のほとんどを機械化した人間にとって人間性とは何か」というやたらと哲学的なテーマを扱っています。
SACシリーズは原作の遺伝子を受け継ぎつつも、押井版の内省的・哲学的雰囲気は鳴りを潜めています。そして、SACならではの特長は社会風刺や時事ネタがふんだんに使われることといえるでしょう。
9課のみなさま
御託はおいておいて、キャラクターがかっこいいんです。
草薙素子(少佐)
世界一の義体使いで超ウィザード級ハッカー。格闘も電子戦もお手の物。
めちゃ強い。絶対に強い。
かっこいいです。
バトー
白目みたいなのは義眼。元特殊部隊のマッチョマンだが電子戦も強い。思考戦車のタチコマをかわいがる。9課の活動を「自分のスキルを活かして給料をもらってる」と断言するすごい大人。かっこいいです。
荒巻課長
サルっぽい顔のおじいさん。
でも、頭がいい、決断力がある、正義感もあると三拍子そろったすごい上司で、人脈もすごいかっこいい人です。
タチコマ
思考戦車(四脚でAI搭載の戦車)。
兵器でありながら、子供のように純粋で人間臭いAIを搭載しています。
この説明はどこも可愛くありませんが、かわいいです。
S.A.C._2045の世界
なんとS.A.C._2045の世界では何らかの理由で金融インフラの崩壊が起こり、世界同時デフォルト(!)が実行されて既存の社会と既得権益という既得権益が破壊されています。
焼野原で発展を続けるために、社会では社会を揺るがされない程度の軍事的小競り合い、持続可能な戦争(サスティナブル・ウォー)が継続しています。
世紀末もいいところですね。
9課はそれらの裏で糸を引いているとされる「ポストヒューマン」、既存の社会の転倒を狙う者達の存在を知って……
という筋書きですが、とにかく観ないとわかりませんね。
アニメならなんでも好きという方はもちろん、全然興味の無い方も、女の子や異世界系(ハイファンタジー)に飽きた方にもおすすめです。
先述のとおり、攻殻機動隊は我々とは違った社会を描いていますが、実際の所その本質たるテーマはいつも身近で、予言的でありながら戯言と一笑に付せないリアリティがあります。
では早速、NetflixでS.A.C.一期→2nd GIG→SSSと見たあと、2045も見てみてください!!
ちなみに2nd GIGのオープニングはアニメ史上最もカッコいいかもしれないので、それだけでも是非。
すごい漫画「スペクトラルウィザード」+「最強の魔法をめぐる冒険」
「スペクトラルウィザード」はもう読みましたか?
何、まだ読んでない……?
読んでください!
読む気が起きないということは私の紹介がヘタクソだったということでしょう。
私の非は認めます。
しかし、スペクトラルウィザードは世界一面白いのです。
〇かわいい
〇おもしろい
〇尊い……?
敵方のスペクトラ担当、ミサキちゃんとの奇妙な友好? 関係もあります。
スペクトラはの心はミサキちゃん(体制維持志向・マジョリティ)とウィザードたち(体制から外れたマイノリティ)の間で揺れ動いていました。
独特なタッチの絵と不思議なテンションで、ウィザードたちの様々な在り方、悲しみと孤独、苦悩と行動が描かれる……というのが神漫画・スペクトラルウィザードです。
読め!
続編「最強の魔法をめぐる冒険」
続編、「最強の魔法をめぐる冒険」では何が起きるのか?
前作が一話完結気味だったのに対して、今作は長編になっています。
でもやることは変わらず、というよりはむしろ、前作のテーマをさらに鮮明にしているように見えます。
- 「自分が『まっとう』にやれていないのでは?」と不安になる
- 「まっとう」にやれてはいるが、自分らしく生きていない気がする
- かつて持っていた自信や活力が無い、取り戻せもしないと思っている
- 人は好きだけど世間は嫌い
- 自分のすべきことはわかっていても、それをよしとできない
こういう方には特にオススメできる気がします。
もちろん、独特の世界観やかわいい絵に惹かれた方も読むべきでしょう。
関係性(私もこの言葉を完全には理解していない)オタクにもオススメかもしれません。ミサキちゃんとウィザードたちの間でもっと葛藤するスペクトラが見れるぞ!
すみません、ストーリーはほとんど前作ありきな上にネタバレがすごいので紹介できませんでした……。
私は、無力だ……。
でもスペクトラルウィザードは読んでください。
すごい漫画「スペクトラルウィザード」
いくら推しても推しきれないすごい漫画を読んでしまったので、皆さまに紹介します。
純粋魔法の研究は 何よりも尊いのだ…
あらすじ
スペクトラは魔術師です。
魔法の中でも特に魔法のための魔法、純粋魔法とその研究を尊び、才能溢れる仲間たちと魔術師ギルドで暮らしていました。
しかし……
純粋魔法を崇拝し
危険な魔導書を多数有した魔術師ギルドは
ついに国連から違法な
テロ組織として認定
多くの魔術師たちが
テロリストとして
逮捕・処刑された
また魔術師ギルドと
戦うため科学技術の
粋を集めて騎士団が
作られた
こうして魔術師ギルドは
徐々に勢力を弱らせ
ついに解散を宣言
残された魔術師たちも
指名手配犯として
逃亡生活を
強いられることに
なった…
こうして彼女は仲間とは離れ離れになり、うらぶれた逃亡生活を強いられることになってしまいました。
魔法に注いでいた情熱はもはや見る影もなく、突発的に買い物したり、知り合いと会ったり、やってきた友達を迎えたり、概ね無気力に毎日を過ごしています。
あなたはどうでしょうか。
かつては魔術師でしたか。
魔法のための魔法は尊いですか。
かつて大切だったそれは、今でも大切ですか?
興味が湧きましたか?
では買って下さい!
キャラクター
魔術師はみんなクセが強いです。
先に貼った表紙をもとに紹介していきます。
- スペクトラ
真ん中の銀髪。
霊体化して何でもすり抜けるほぼ無敵の能力を持っています。
先述の通り、日々を無気力に過ごしています。
- ミサキ
騎士団の人間です。表紙には居ませんが、物語のレギュラーです。
スペクトラを監視(?)しているようですが、無敵のスペクトラにとっては話し相手か何かだと思われているようです。
- カオス
7人連れ立っているサーモンピンク。6人は分身です。
魔術師を一方的に悪と断定した世界に従わず、名前の通り無秩序に過ごしています。しかし、胸の奥ではギルドの再建を夢見ているようです。
- キネティカ
褐色猫目。
騎士団に怯え、人目を避けて極力引きこもって過ごしています。
- クリスタル
青髪の半目。
ギルドにいた頃からやり手の人物で、どう立ち回ったのか、今では騎士団の魔術顧問というポストに収まっています。
しかし、自分が魔術師だという自覚は捨てていないようです。
あなたの中に魔術師は居ますか?
あなたに似た魔術師は居ましたか?
居たなら読んで下さい。
読んでください。
カートゥーン調の中の可愛らしい絵柄ですが、ストーリーに込められたテーマはしっかりしていて、伏線も緻密です。
また、彼女らの抱える悲しみや、彼女らが垣間見せる愛情や優しさは、じんわりと胸にしみます。
漫画はストーリー派の方も、可愛いは正義の方も、きっと気に入りますよ。
特に、これまで書いたことが何を暗喩しているかを読み取れてしまったあなたには、どうしようもなく響く筈です。
内容が深くて濃いので、続編と併せて考察のし甲斐もあります。ブラックローブのオタクメイジにはたまりませんね。
私も4万字ほどのレポートを書きたい気分でしたが、この凄い漫画は多くの方に読んでいただきたくてはならないと思い、紹介記事としました。
オススメの漫画です。是非是非読んでください!
リンク
著作サークル(元は同人誌なのです)。「金魚王国の崩壊」は最新話まで無料で読めますが、これまたすごいですよ。スペクトラルウィザードは金魚王国ほどメランコリックではありません。
出版社の告知サイト。店舗で買うと可愛いペーパーなどの特典があるようです。私は知らなくてとても後悔したので、お店に行ける方は是非貰って来てください。
私に広告料が入らないことは何も心配要りません。Amazonアソシエイト不受理だったので。
おそらくちんぽ狩り記事のせいですね。
【Twitter】今、お気持ち表明がアツい!
溢れる言い訳
今日の課題
母親がスマホ使って何が悪い
唐突だが、このツイートを見て欲しい。
母親がスマホ使って何が悪い #育児日記 #育児漫画 #やっぱり家が好き #育児 #日記 pic.twitter.com/wdJHf916Zt
— 渋谷さえら (@voxxx) September 14, 2019
お気持ち
このツイートのお気持ちを抜き出してみる。
- スマホは便利
- ガラの悪いにいちゃんはスマホを使う母親に厳しい
- おばちゃんはスマホを使う母親に厳しい
- 世間は母親に厳しい一方で、雑誌は男性にはスマホを紹介する
- スマホを使う母親を攻撃する前にちょっと冷静に考えてほしい
これらのお気持ちには、私自身概ね共感できる。
私が疑問に思うのは、なんでそんなことまで発信せずにはいられないのか、ということである。
一般化してみる ~世間に蔓延する「自信のなさ」~
なぜお気持ち表明しなければならないのか?
そもそも、母親がスマホを使ってはいけないなんて法律はない。
だから、使ってもいいと思うならば使えばいいし、使わない方がいいと思うなら使わなければいいのである。
でも、多くの人がこれについて意見を述べ、共感している(し、私もこうしてお気持ちブログを書いているわけだ)。
ところで、そもそもである。
なぜこの母親は心無い人々に反論するために漫画を必要としたのか?
なぜこの人は理不尽な誹りを「うるせー! 知らねー!」と撥ねつけず、「ちょっと考えてほしい……」とのお気持ちを表明するだけで終わっているのか?
この漫画はいわゆる「白ハゲ漫画」と呼ばれるものの派生で、「メモ帳スクショ」と双璧をなす近年のTwitterの潮流であるように思う。
これらに通底しているのは、「同意の希求」と「理不尽への怒り」なのではないかと思う。
なぜ、人は群衆に正当性を叫ばなくてはいけないのか?
なぜ、俺がこうだからこう、ではいけないのか?
- 白ハゲ漫画
- メモ帳スクショ
- 反論クソリプ
- 放火(炎上狙い引用RT)
こういったものが巷にあふれかえっている原因として、かなり恰好をつけた言い方になるが「自己肯定感のデフレ」があるのだと思う。
何一つ統計を取っていないから完全に与太話なので、「そんなことない!間違えた奴が燃えるんだ!」と思っている人はスルー推奨、ブラウザバックして欲しい。
「自己肯定感のデフレ」
先に挙げた自己肯定感のデフレは、情報の受発信を繰り返すことでどんどん強化されるのではないかと考えている。
自分の意見をいいね!などで肯定され、あるいは自分と異なる意見に抗議することで(意見を撤回させて)否定すると自尊心を得られる。これは、少なくとも私はTwitter経験を通じて確信している。
しかしながらそれは外付けの自己肯定感であり、延々といいねの受信を繰り返すか、粘着するなり次の火種を大きくするなりで否定を繰り返すことでしか維持できない。
こんな仮説を持っているが、検証のしようがないので、教育学部の学生さんかなんかに統計をとってもらいたい。卒論にまとめられたら私に見せてほしい。
原因に関する仮説
こんなにも、世の中に自分の一挙手一投足に自信のないひ弱な人間や、「愚かな人」「差別主義者」「前時代的な人」を軍隊アリのように集団で攻撃する人間があふれているのはなぜなのか。
私個人としては、ダイバーシティの時代との名目で多様な価値観や生き方などが認められる一方で、個々人の人生を肯定する、「これならいい」という基準がどこにもないことがあるのではないかと思う。
自分のありかたへの寄る辺なさを抱えた個人が、群衆の叫びに寄る辺を求めているのではないか。
根拠はない、私がそう言っているだけである。
届かぬ理想世界
あとは、「差別も格差も無い世界」「モラリストだけの世界」への偏執めいた希望である。
三種のチーズ牛丼顔(元ツイートが「焼失」したらしく、見つけられなかった)の件は記憶に新しい。
何の科学的・統計学的根拠もないのだから、就職が決まらない人がみんなあの顔をしているという与太話なんて一笑に付しておけばいい。
それなのに大量のクソリプが集まるのは、ああいった偏見を持つ人間、そしてそれが存在するという現実世界への、恐怖の表れなのではないだろうか。
「こいつは間違っている」という確信があるのなら無視すればいいのに、自ら排除にかかるのは、リプライを送る者たちの「それは間違っている」との確信が揺らいでいる証左にほかならないのではないか。
「悪いやつ」の敗北を見なければ、世界の正しさなど肯定できないのである。
むしろクソリプする方々は、外見・性への差別や偏見の無い未来の到来に、確信が持ててはいないのではないだろうか。
抜け出すためには
情報過多の世界で、自己肯定感が薄れる連鎖から抜け出すための方法はいくつもあると思われる
例えば
- 自分にも他人にも偏見はあるのだと受け入れる
- 自分は棚に上げる
- 話せばわかると思わず、対話を試みない
- 意見を発信しない
- 意見を受信しない
とかである。
そもそも私も自己完結できていないので、これから取り組むしかない。
要は何が言いたいのか
みんな知ってると思うけど、
— タガメ@沼の底から (@tagamekamo) September 16, 2019
Twitterってコメント来たら必ず返事しないと逮捕されるシステムとかは無いのよ。
だから「コメント無視すんなよ」とか
「お前の意見気に入らないから謝罪しろ」とか言われても、
個人名をあげて侮辱したわけでもないなら、
スルーしていいんだよ。
私は無視するよ。
垢太郎って昔話知ってる?
— タガメ@沼の底から (@tagamekamo) September 16, 2019
子供がいない老夫婦が、体の垢をこすって集めて赤ん坊を作ったらちゃんと生きた息子になる昔話。
私、あんまり理解力のないくそリプをしつこく送ってくる人って、
ご両親が垢で作った子で、脳も垢の塊なんだろうと思ってる。
早くこれになりて~!
クソリプしてやっつけようとしたところでこいつの自己肯定感を我が物にすることはできないので、クソリプマンはこいつに嫉妬して一生を終えるのだろう。
記録、やらないか【読書感想文】
記録 やってみた!
ムーミン100冊読書ノート
昔から本は一杯読んでいるのですが、これまで記録はつけてきませんでした。
昨年1月頃、500円クーポンで丁度買えたから使い始めたのがこれ。
かわいい。
中身はこんな感じ。
ムーミン・コミックスの絵(童話の若干おどろおどろしい挿絵ではなく、線が細めで柔らかい方の絵ですね)がそこかしこにあしらわれていて、書き込んでいて楽しいものでした。紙媒体にこだわるあなたにはオススメです。
でも、文章を勢い書いて直しがちな私にとって、一度ペンで書くと直せないという欠点はどうしても見過ごせず、また、ページ数が多いせいで背が広く、書き込むとき紙面が傾いて書きにくかったので、今は使っていません。
代わりに使っているのがこちら。
読書メーター
このSNSはすごいですよ!
バーコードで本が登録できる!
なんと、バーコードを読み込むだけで本を登録してくれます。
タイトルや出版社を書く手間から解放されて、空いた時間を読書に充てましょう。
読書状況(ステータス)を登録できる!
バーコードで登録した本は、「読んでる本」「読んだ本」「積読本」「読みたい本」に振り分けることができます。
蔵書がたくさんある方は、本を選ぶのすら大変だったりしますよね。それに、存在を忘れたまま二度と本棚から取り出さない本があることも……。
これを使えば、まだ読んでない本を検索して次に読み始める本の目星を付けられます。
本を次々に引っ張り出してはめくる時間も豊かではありますが、時間がない我々にこれはありがたい。でしょう?
読書量が記録できる!
何冊読んだかが記録できます!達成感!速読をほめそやしてやろうという気はありませんが、何冊読んだかが分かるとうれしいというか、安心するというか、自分の本分を果たしているという実感を得られませんか?*1
あと、自分の読書スピードの成長や、読んだ本の重さ(読破にどれだけの時間を要したか)も確認できますね。
感想を発表できる!いいね!がつく!
ウオオオオ承認欲求承認欲求!!!!!!
やっぱりモチベーションって大事ですよね!
でも、読者の多い漫画に寄せた感想はたくさんいいね!がついて、読者の少ない小説に寄せた感想はプレビュー数が少ないので、いいね!がつきにくいです。はい。
ここで、「いいね!が欲しいから漫画・ベストセラーばっか読んだれ!」という姿勢をとるのは本好きとして何か間違っている気がするので、いいねはあまり追いかけ過ぎない方がいいかもしれません。
他の人の感想が見られる!
同好の士が書いた感想を読むのもまた一興。感情をうまく言葉にしている人の感想文は真似したくなりますね。
記録の効能
読書メーターの便利さを書き連ねましたが、感想を書き記録をつけることでどんないいことがあったか書いておきます。
読み方が変わる!
あとで感想を書くのを念頭に置くと、内容を整理しつつ読むようになるので、以前より理解しやすくなった気がします。
それに、心が動いたときは「この気持ちはなんで起きたんだろう、どう伝えればいいんだろう……」などと考えることが増えました。自分を見つめつつ読むようになった気がします。
読んだことを振り返れる!
数年後に感想を読むと、自分の心境の変化なんかもわかることだと思います。(現に、ムーミン100冊ノートに私が書いた文章がかなり暗くて驚いていますしね。)
自分がどう変化したか後で辿るのは、さぞかし楽しいのでしょう。日記を見返すのと同じ喜びです。
書ける!
感想って普段は書きませんよね。
読書感想文を書くようになってから、月に何度も文章を書くタイミングがあるので、いろいろな書き方を試せます。ですます調、である調のような作法だけでなく、セールスっぽさを出してみたり、やたらニヒルに書いてみたり……。
書く前に比べてたくさん頭を使っている気がします。記録するから、その変化もわかりますね。
紹介できる!
これまで、映画の感想を伝えるとき「おもしろかった」「つまらんかった」「バーフバリ!バーフバリ!」などとしか言えず、もどかしい思いをしたことはありませんか。私は、「バーフバリ!バーフバリ!」と言うのはすごく楽しかったです。
それはさておき。
どんな感想を持ったか頭をひねって書くと、なかなかその感想を忘れませんし、胸の内に広がるぼんやりしたものをいったん言葉に直して感想文にしたわけですから、伝えることに不安は無くなります。
これから本について聞かれても、「あ、俺、本、読みます、小説とか……」と、本好きの自分をさらけ出したい積極性と自分をさらけ出すことに怯える消極性にすりつぶされ、どっちつかになった自己紹介をする必要はないのです!
怖がらずに「『蒲団』は女学生にお熱なくせに人格者ぶるおっさんの気持ち悪さ、女学生を自由にできると思い込む浅ましさ、これだけ気持ち悪いのに世間体を気にして悶える様が滑稽なのに、俺はこいつほど馬鹿じゃないと言えない絶妙なリアルさがたまらないんですよ」なんて語ってみましょう。私は語った後の保証はしません。
君もなんか記録しよう
とにかく私が言いたいのは、「感想を書くこと」「記録すること」を心に留めつつ鑑賞し、それらを実践するのは、ただ鑑賞するよりいろいろ楽しいということです*2。
やりたくなったでしょう?
まとめ
- 紙は感想文の記録には向いていない
- 読書メーターは便利
- 記録すると変化や成長がわかる
- 発表や記録などもバーフバリもたのしい
習慣は守ろう
10年近くつけ続けた紙の日記をつけるのをやめたところ、気分に無視できない影響が出てきたのでブログを綴っておきます。
なぜ日記をやめたのか?
理由は3つ。
- 疲れて書けなかった
- 平日が代わり映えしなすぎた
- 酒浸り
……なんか変なのが混じっていますが、気にしない、気にしない。
疲れて書けなかった
枯れ果てた元気
仕事から帰るとフラフラです。
私はもともとはムキムキとは言わないにしろかなり鍛えていたのですが、度重なる入院で手足は痩せ細ってしまいました。体幹は贅肉で太さを維持してしまっているので、無垢の巨人みたいな体形になっています。
とにかく、体力が衰えて帰宅後一切の活動をする体力がなくなってしまった結果、帰ったら夕飯を食べ、入浴し、一時間ほど椅子に根を生やしてぼーっとし、そのまま寝るという生活が習慣になってしまいました。
優しい言葉に甘えてしまった
結果、それなりに自己嫌悪をしていました。本当にこれでいいのか。私は仕事をするだけの生物なのか?いや、仕事だって人並みにはしていない。
ダニだ。
変な病気になって生産性を下げ、挙句健康保険を大量に支給されている。会社の血液を吸うだけのダニ……
などと自己嫌悪を深めていました。
そんなことを口に出してみると、家族や医者は休むのが先決だと言います。最初は意地を張って何かしよう、何かしようと頑張るのですが、結果は椅子で茫然としていただけというのは先述の通り。
無力。どうしようもなく無力。
そうして、自分は無力じゃないという否定のための試みがくじかれると、ささくれた心に優しい言葉が染みるのなんの。
ああ、今はゆっくり休もう。仕方ないよね。
そんなこんなで、腑抜けている自分を慰めて、ダラダラと過ごしていました。
平日が変わり映えしなすぎた
変化を探すのをやめる
日記をつけるのをやめると、「今日はこれを書こう!」という思いつきは無くなるし、身近な出来事に何かしらの感想を抱いたり、それを記憶あるいは記録しておこうという動機もなくなります。結果、変わったことに心が動いても、その原因を心の腕でとらえようとはしなくなります。なんでアレが気になってしまったんだろう?などと考えることが減りました。健康になったと言えば健康になっているとは思いますが、感受性は鈍っていたように思います。
実際代わり映えしない
まあ、そんな内省はさておき、実際仕事の中で心を揺さぶるようなことが滅多にないということが言えます。かえって悲しいくらい。
多少の事では感じない、かさついたメンタルに、あまりに凹凸のない日々はつらい。
嬉しいことが無いだけで悲しいと感じるのは明らかに健康的じゃない。気がする。
酒浸り
ゴールデンウィークと酒
GWは帰省している友人らと毎日のように酒を飲んでおり、「今日は酒飲んじゃったし明日書こう」などといって後回しにする日が少なくない……というか毎日でした。
当然、明日も酒、明後日も酒、その次も酒だと日記なんていつまでたっても書きません。
なんだかんだでこれが一番大きい要因だった気がします。情けない。
やめてよくなかったこと
後悔してしまう
「毎日できていたことができなくなった」と自分でもわかる形で衰えが見えてしまうのは、悔しいし悲しい。
再開しにくい
毎日やっているおかげで続いていたものは、一回途切れると「もう記録切れちゃったしまあいいや」と、続けるインセンティブがガタ落ちします。完璧に続けていたなら特にそう(私は毎日大学ノート4行以上日記をつけることを己に課していました。)。
守ろう!習慣
習慣は守ってこそ!という気がしてきたので、これから取り組もうと思っていることを列挙しておきます。
1.つらくても日記はつける
何がつらいかだけしか書かなくてもいいから日記は書いた方がよさそうです。
2.習慣については優しさに甘えない
これまでできていたことを捨てるのは敗北宣言に他ならないので、そこは譲れない一線として守ったほうがよさそうです。
3.日記がつけられなくなるまで飲まない
言うは易しと言われないよう、肝に銘じなくてはなりません。
今夜日記をつけられなかったら、今日のことは一生つけないかもしれない。
今日は唯一無二の一日。
3が守れるか不安ですが、とにかく習慣だけは守ると決めました。
日記が一ヶ月分欠けたのも、今後書かなくてもいい理由にはなりません。
やるぞ!