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入院体験記 その3

翌朝起きてみると、聴覚は完全に元に戻ったものの、視界の異常の密度が濃くなり、いよいよ堪え難いものとなっていた。顔面の感覚もである。顔を洗い、タオルで拭うと、右側だけビリビリと後をひく。しかし、これをどう上司に報告すればいいのかわからないので、とにかく出勤した。

 

業務を始めるも、一切の行動がワンテンポ遅く、足取りがおぼつかない私は、山本さんに「大丈夫か」と言われるばかりだった。ような気がする。というのも、あまりの感覚の違和感で目の前のことに現実感が無く、何をしていたかほとんど覚えていないからだ。この日の記憶は時系列・行動履歴からして滅茶苦茶で、業務の内容はおろか、昼にどこで何を食べたかも記憶にない。

私たちの様子を見かねた城田さん(村上さんの部署の先輩)に、救急でもすぐに病院に行くことを勧められた。このときの記憶も定かでないのだが、城田さんとのやりとりでは私は言葉が詰まりっぱなしだったらしい。何科を受診するか決めるため、昨日のように検索して、脳梗塞を疑った。城田さん、山本さんが半ば強引に連絡等をしてくれたお陰で、直ちに会社近くの病院にタクシーで向かい、受診する運びとなった。

 

病院に到着し、受付で「すぐに診て欲しい」と言ったが、外来の受診時間を過ぎていたため、明日まで待つよう言われた。しかしとても明日まで我慢などできる状況でもないと伝えると、医師に連絡して検査を取り付けてくれた。このとき視覚の異常はピークに達し、ただ色が見えるというだけでなく、視界の中央だけ切り抜いて30°ばかり回転させたようになっていた。歩くのも覚束なかった。

軽く問診。自分の鼻を指で触り先生の指を触る、先生が顔の左右を対象に触って感覚の違いを教える(脂性肌がひどいので、頰や額に触れられるのは密かに申し訳なかった)、先生の鼻を見ながら、視界の両端に配置した指を立てている本数を答える、ひざ下や膝のすじなどを、音叉を叩くのに使うようなゴムの円盤がついたバチで打たれる、目を閉じて片足立ち、けんけん、足裏を引っかかれるなど、色々に反応を調べられもした。運動や反射、視野にはこの時点でわかる異常は無かったようだ。

その後、MRIで検査。生まれて初めてMRIというのを撮った。MRIを撮るにはただ寝ていれば済むと思っている人もいるだろうが、MRIの撮影中はヘッドホンを装着され、延々とけたたましい電子音を流される。尤も、私は困憊していて音に対する不快感を覚える余裕も無かったが。

診察室に戻り、医師から画像データについて説明を受けることに。医師が輪切りになった脳の画像をモニターに表示する。自分の脳を見るのは初めてだが、特に感慨は湧かなかった。医師に尋ねられる。

「これをご覧になって、何か気付くことはありませんか?」

わかるか。

 「いや……何も……」

 「白くなってるとか」

成る程。たしかに白い部分がある。この白いのは異常なのか……。

「ここ、白いですね」

「そうですね、それとここと、ここと……」

待て待て待て、これ全部かよ。医師がトラックホイールを回すと断面が頭頂部に向かってずれる。

「ここと、ここと、ここなんですが」

「多いですね」

「これは病変ですね」

「病変……?!」

せいぜい血管が切れているとかだと思っていた私にとってあまりに衝撃的な単語。

「腫瘍とか?ですか」

 「いいえ、腫瘍ではなくて、簡単に言うと傷がついています」

「傷」

この会話も記憶を頼りに書くので、医学的に正しくない発言になってしまうかもしれない。専門家の方々にはご了承頂きたい。

「脳細胞のモデルって見たことありますよね、あの伸びてる神経の……電線に例えると皮膜のところが破れてるせいで信号がうまく伝わってません。それが原因で顔の痺れとか視界の異常とかが出てます」 

「原因は何なんです」

「原因はわかりませんが、自己免疫が間違えて脳を攻撃しているのは確かです」

原因不明。

「でも、殆どの病気って原因はわからないんですよ。そんなに珍しいことではありません」

確かに。

「はぁ……治るんですか」

「どれだけ治るかはわかりませんが、若いうちなら改善することが多いです」

「治らないこともある」

「完全には治らないこともありますね」

なんと……。

もし病気でも、治ったらこれまで通りに暮らせると、漠然とそう思っていた私にとって、後遺症の示唆は衝撃的であった。一生この痺れを引きずるのか? 病気が分かれば治るという楽観が、暗澹たる思いに塗りつぶされていく。悲観に引き摺られた思考が齎すのは新たな懸念。

「記憶が消えたりとか、言語障害になったりとかもするんですか」

「可能性はゼロではありませんが、今の状況からだとそんなに心配しなくて大丈夫ですよ」

安堵すると同時に、はっとした。私の趣味は読書だ。冬コミでは小説を書いて同人誌を出した。知的活動に不自由することに対する恐れ。これまでに抱いたことのない恐怖であった。このとき、自分が自己同一性の保持に強い執着を持っていることを初めて自覚した。思っている以上に自分のことが好きだと気付いた、と換言できるかもしれない。

「それで、これからなんですが、今すぐ治療しましょう、入院して貰って」

「今からですか?!」

「はい……なるべく早い方がいいですし、病室も丁度空いていましたので」

日常生活、仕事共にまともにこなせる自信は全く無かったので、入院することに不服は無かった。しかし、いかんせん準備が足りない。

「親御さんにも連絡してもらって、このまま入院できれば一番いいんですが」

「連絡はしますが……すいません、一旦部屋から荷物を持って来させて下さい」

親が来るのも不服は無い。が、親が私より先に部屋に入って荷物を持ってくることだけは阻止しなければならなかった。察して頂きたい。

 

地元の親に電話したところ、4時間後にはこちらに来てくれることになった。会社に入院する旨を伝えると、山本さんが社用車で病院と自宅の往復の世話をしてくれた。

車内では色々話したが、何かと原因をこじつけたくなるのが人の性だと思い知ることになった。「原因は分からない」と言っているのに食事、ストレス、遺伝だのと色々に因果関係を作ろうとしてくる。私は何も悪いことはしていないし、されていない。

病気になる前の私を含め、「何も悪いことをしなくても悪いことは起こる」という現実が世界観から脱落している人は多いのではないかと思う。実際は決してそうではない。悪い結果に悪い原因が結びつくとは限らない。因果に拘ると現実をありのままに受け止めることはできなくなるし、どんどん不寛容になっていくのではなかろうか?

 

自宅では症状に苦しみながら荷物をまとめた。山本さんも手伝ってくれた。「処分」のフェーズは事情を説明して外して頂いたが。前がまともに見えておらず、顔面もビリビリと痺れ、尋常でない苦痛を味わっていたし、突然の脳疾患の発覚で絶望の淵にあった。それでも、己と親の尊厳のために必死に片付けた。そういったグッズを親に片付けさせるというのは、親不孝な仕打ちランキングを作ったらトップテン入りは確実だろう。