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フラペチーノを飲む

スターバックスと私

行ったこともないスタバが嫌いだった。

大学生らしい楽しみから遠い生活をしていた私は、大学生らしい趣味や、キラキラした人々なんかを妬んで斜に構えていたのだろう。

それが今ではスタバに行けるようになったのだから、私も成長したものである。昔は何もできやしないのになんでも批判して、それで偉くなったつもりになっていた。リア充に嫉妬して避けるくらいなら、自分もああいう人種を目指すべきだった。

そんなわけあるか。

冒頭のようなありきたりな内省でもって成長を実感するのは、小賢しく意味のない心の慰めに過ぎない。それにスタバは、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」的な諦めでもって許していいものではない。邪悪そのものだ。何より、さっきの文章はスタバ嫌いの話がいつの間にかリア充志向の肯定にすり替わっていて意味不明だ。読者諸君も、なんとなくきれいにまとまったっぽい話に惑わされないよう常日頃から気を付けてほしい。

そんなことよりスタバだ。

スタバは現代資本主義の病理を体現している。

まず、扱っている商品が邪悪だ。コーヒーとチョコレート。こういった作物は、発展途上国プランテーションで大量生産されている。それらの国々が植民地だった時代に、作物を需要する欧米列強によって強制されたからだ。その歴史は自家消費しないそれらの作物の輸出に頼った経済、所謂「モノカルチャー経済」としてその地に残り、今なお、輸出に頼らない経済の発展を妨げ続けている。

そんな巨視的な見方をせずとも、コーヒーとチョコレートの邪悪さはわかる筈だ。プランテーションでは、コーヒーもチョコレートも買えないような低賃金で少年労働者が酷使されている。少年労働者を搾取する農場主、農場主を搾取する仲買人……この搾取のヒエラルキーの頂点で、暴利をむさぼるのがスタバである。

これが現実だ。弱者の犠牲のもとに生まれるのがオシャレ空間・スタバなのだ。空調のきいた店内で、サラリーマン、もといビジネスパーソンが、お仕事、もといビジネスにコミットしてクリエイティビティを発揮している間も、アフリカのチルドレンはウィップでラッシュされ、スエットとティアーをドロップしている。

その「オシャレ」という価値も、スタバが「スタバ=オシャレ」というイメージを戦略的に構築したおかげで存在している。スタバが売っているのは端金で買い叩いた搾取の産物に過ぎない。ではスタバのやたら高いコーヒーの代金は何処に行っているのか。スタバの富は、広告、旧作とさして違わない新作の開発、バイト君のバイト代などに費やされているのだ。いずれにせよ、コーヒー農家やカカオ農家に与えるべき富をつぎ込んで構築されたイメージは、SNSや広告の力でさらに強化されていく。そして、人々の関心を「みんなより一足先にスタバの新作を飲む私」という、差異ならざる差異、個性ならざる個性を求める方向に向かわせる。

本当はわかっているはずだ。

インスタにスタバの新作を上げたところで、あなた自身の何についてのアピールにもなっていやしないと。

スタバの新作を飲んだ人にもたらされる、まだ飲んでいない人に対する優越感にも、意味など全くなく、空虚なだけだと。

でも、金さえ払えばオシャレな自分、ハッピーな自分を装着できるから、みんなこぞってスタバに行って写真を撮ってしまう。実際は、消費社会という資本主義の悪性に加担しているだけなのに。

と、まあ、こんな理論武装をして、大学構内にスタバがあったにもかかわらず、学生時代はスタバには行かなかった。というのは嘘で、教授に連れられて数回行った覚えがある。恐縮して一番安い飲み物しか頼めなかった気がするが。

小難しい理屈はさておき、感情においても、私はスタバを嫌っていた。

SNSを見ていれば、スタバのことはなんとなくわかる。

カップの帯にかわいい丸文字で書かれた「就活頑張ってください!」みたいなメッセージだの、サイズを表す英字を崩して作った絵だのが、Twitterのタイムラインに流れて来たからだ。そういうのを見るたびに、書いたところでボーナスが貰えるわけでもないのに、こんなサービス精神を発揮してしまう店員は、きっと人を喜ばせるのが大好きな人なんだろうな、人を喜ばせる気が起きるのだから、きっとその店員は自分のことも大好きで、将来の不安も他人への嫉妬もない、実家暮らしの、両親にそれなり以上の収入がある女子大生で、生きているだけでチヤホヤされる程度には生まれつき可愛くて、でもオシャレに余念がなくて、大学入学を機に茶髪にしていて、ミディアムヘアで毛先をふわっとウェーブさせていて、色白で、もともと色白なのにもっと白く見せるファンデーションを塗っていて、頬の高めの位置にチークをして、ぷっくりした唇に赤いリップを塗って、涙袋があって、ピアスは開けてなくて、Cカップ程度には胸があって、ラクロス部かなんかの彼氏が居て、適当に授業を聞いて、要領よく単位を取っているんだろうなあ。対する私は、バイト代が上がらない労力は払い損だと思って、仕事仲間への気配りなんてろくにせず、サービス精神などあるべくもなく、バイトのスキルアップのための努力もそれほどせず、もったいことをしたものだなあ。などと考えてしまい、劣等感だの、後悔だの、そんなものが心の奥底からむくむくと湧き上がってきてしまうのだ。

そんな、反資本主義、反欧米列強、反グローバリズム、騒乱計画、暴力革命、万国の非リア充よ団結せよの私に転機が訪れる。

病気になって入院したとき、従姉が見舞いにスタバのタンブラーとコーヒー1杯無料券をくれたのだ。

従姉は愛情たっぷりの家庭で何不自由なく育ったためか、誰にでも愛想よく、優しく、愛くるしい笑顔を振りまいていた。マイペースでわがままだと叔父や叔母は言っていた気がするが、私の目にはそれもお嬢様然とした魅力に映る。何より、私のように捻くれていない、素直でいい子だった。いや、私も愛情たっぷりの家庭で何不自由なく育った筈なのに、どこで差がついたのか。

脱線したが、従姉が私を資本主義・消費社会に組み込もうとしてタンブラーをくれた訳じゃないことはわかる。

タンブラーは、入院中、病院でお茶を持ち運ぶのに活用していた。だが、未だにコーヒーは入れたことが無い。無料券も使いはしたが、友達と映画を見た帰りにさっと寄って、なんか変な名前の紅茶を入れてもらって持ち帰っただけだ。

そういうわけで、スタバのタンブラーを貰ってもスタバにお金を払ったことはなく、店内に滞在したこともないので、まだスタバ童貞を主張してもいいだろう。どうでもいいが、まだ金を払ってないから童貞というのは、金を払っても本当に捨てたとは認めてもらえない本来の童貞との違いに面白さを感じた。私だけか。

また脱線した。タンブラーは繰り返し使える。それが紙コップと比べた利点なのだから、繰り返し使うべきだろう。そのためのタンブラーだ。

そう考え、悪の居城・スタバに乗り込むことにした。折角だからフラペチーノってやつを飲んでやろうじゃないか。悪いことは、たまにするとどうしようもなく気分がいい。

 

突入!スターバックス

入店

今回突入する悪の枢軸、悪徳の体現者、邪悪、養豚場、堕落工場、肥え太ったブルジョワの根城、社会の病巣、インスタ蝿のすみかであるところのスタバは周囲がガラス張りで、何処が入り口かわかりにくいことこの上ない。私は入口を見つけるために周りを行って戻って一周するハメになった。いきなり運が悪い。

そもそも、なんで全面ガラス張りなのか。みんな、そんなに茶やコーヒーをしばく自分を見て欲しいのか。そうに決まっている。じゃなかったら窓際になんて座らない。

クソ醜い自意識を引きずりやがって。

お前をフラペチーノにしてやろうか。

それとも、きたるべき監視社会でも後ろめたいところのない、資本主義万歳、優越的地位の乱用万歳、個人情報絶賛提供中、むしろ多少の個人情報ごときで騒ぐような奴は犯罪者予備軍かなにかだろうと考えている、芝麻信用熱烈歓迎、そんな人間しかスタバには来ないということなのか。

何もしていないのに、既にクソ忌々しくて胸糞悪い。

注文

土曜の昼だからか、スタバはごった返していた。注文のカウンターには行列ができている。

みんなわかっているのだろうか。

その歩みは、資本主義の歩みと同期している。前にいるカップルが、お姉さんが、私が、足を進めるたびに、貧しき者の血で磨かれ、鈍く黒光りする資本主義の靴が発展途上国を踏み荒らしている。店内を満たしているのはプランテーションの労働者の咽びではなく、BGMとありふれた会話だが。

メニューは店員の後ろにある。マクドナルドなどと一緒だ。だが、行列はカウンターと平行に、カウンターに沿うように形成されている。入口に正対するようにカウンターを配置して、カウンターから入口に向かって行列ができる、というファストフード店にありがちなレイアウトでないのは、きっとオシャレじゃないからだろう。

とにかく、このレイアウトのせいで横からメニューを見なくてはならない。読めない。というか、一瞬見えただけでは#スタバの新作 というのはどれなのか分からない。知っている人だけが注文できるということか。

いかにも格差社会を是とするスタバらしいな。

ふざけやがって。

カウンターと入口の間に棚が並べられ、自然と列ができるようになっている。棚には私が持ってきたようなタンブラーや、持ち帰り用の南米の子供達による低賃金労働で収穫された豆などが陳列され、哀れにも俗物ホイホイであるスタバにホイホイされてしまった、善良な、それでいて無知な人々に、さらなる消費を促している。邪悪だ……。カウンターのレジの手前には冷蔵庫があり、こちらにはお菓子やサンドイッチが置いてある。カラフルで華やかで、おいしそう、じゃなくて、おぞましい。その彩りで、ここで行われる消費のために地球の裏側で繰り広げられる、泥と汗に塗れた労働を覆い隠そうとしている。

なんて考えていたら、私の番が回ってきた。

店員さんは、女子大生と見てとった。根拠はない。スタバ指定と思しきTシャツとエプロンをしているから服装のセンスなんてわからないが、スタバで働くのだからきっとオシャレさんなのだろう。茶髪で髪を一つに縛っていた。眉も茶色だから、やっぱりオシャレには余念がなさそうだ。色白ということもなく、メイクが濃くもなかった。ラクロス部の彼氏は居るかもしれないし、居ないかもしれない。なんにせよ、見た目に気を遣っているのは分かるし、実際可愛いと思った。

レジ前でメニューを見て硬直してしまった。

数が多すぎる。

人々の思考を画一化する消費社会の手先のくせして、メニューだけは多種多様だな。いや、実際には差異が存在しないものの間の差異を強調して、無理に価値を生み、大衆の欲望を刺激するのも消費社会か。

そんな思索を巡らすのと同時にメニューを考えていたから、3秒ほど硬直してしまった。

それらすべてに優先する疑問を思い出し、口を開く。

「これ、フラペチーノも入れられますか」

そうだ。私はフラペチーノを飲みに来たんだ。

フラペチーノ。

それは資本主義の豚とインスタ蠅に提供される餌。ハイカロリーにしてフォトジェニックな、女性向け二郎。労働者からの搾取で造られる、奢侈にして衒示的消費。

まさしく、飲む悪徳。

「はい。トールサイズまでなら何でも入れられますよ。フラペチーノの場合ホイップを乗せますので、フタはおつけできなくなってしまうんですが」と、店員さん。媚びた声ではなく、落ち着いた感じの声。歯切れのいい話し方が、てきぱきとした仕事ぶりを想像させる。それはそうと、あらゆる悪徳が携帯できるらしい。いつでもどこでも、資本主義に支配されているのを体感できると。ブルジョワ達は、スタバを持ち歩くことで資本主義が打倒される不安から逃れるのだろうか。

「構いません、じゃあこの、ダークモカ?フラペチーノ、の…トールで」

ダーク。すなわち暗黒。この際、存分に資本主義の暗黒面を堪能させてもらおう。アフリカの子供たちの労働は私の歯に砕かれ粉々にされ、ついには胃に収まり、私の肉体の一部となる。想像すると、自分の道徳心が痛みに悶えているのがわかり、マゾヒスティックな快感にぞくぞくしてしまう。

 「はい、ダークモカチップフラペチーノ、トールですね。タンブラーお持ち頂いてるのでお値引きしておきますね。518円になります」

邪神への貢納は518円。そのどれだけがアフリカの子供たちの懐に届くのだろうか?

「フラペチーノはあちらのカウンターでお受け取りください」

受取

フラペチーノは注文口とは別の所で受け取る。現代社会の縮図だ。自分の仕事が誰の手を経て誰に受け取られ、何になっているのかわからない。だから達成感も薄く、自分がいかなる悪に加担しているかもわからない。官僚たちが、そうでなくても大企業に属する者が、極論、国家に所属する誰もが、国家というシステムに属する以上、逃れ難くいち部品としての側面をもってしまう。それ故に陥る、個人の疎外を表現しているのだろう。

待っている間、フラペチーノ係?の店員がフラペチーノを作る様を見ていた。

氷を砕氷機?のケースに入れる。液状のソース?フラペチーノの氷以外の部分を注ぐ、ミキサーで混ぜる、汚れたミキサーを洗う。

こうした一連の作業をこなし、忙しなく来る注文を次々に捌く。その段取りの良さは、彼女がこの先どんな仕事に就いても役に立ちそうだ。きっと立派な資本主義の手先になるだろう。

私が邪教信者の証・タンブラーを持ち込んだせいか、後に注文したカップルより遅れてフラペチーノが手渡された。

カップルの男は店員に「あーフタねえ、閉めちゃっていいよ、持って帰るんで」などとタメ口を利いていたので、とりあえず女に軽蔑されればいいと思う。

とにかく、ようやくフラペチーノがもらえる。

資本主義のもとでの人間の生ように冷たく、消費社会に溢れるCMのようにやかましい盛り付けで、人間を疎外する労働で自己が分裂した社会人が待ち望む週末のように甘く、SNSの人間関係のように虚飾に塗れた、アフリカの子供たちには絶対に飲むことができないフラペチーノ。それが私に手渡される番が来るのだ。

「はいダークモカチップフラペチーノです。フタ、閉められるようにしますか」

店員が尋ねてくる。

持参したタンブラーは閉められるようにもできるのか。レジではできないと言われたが。

マニュアルになくとも、この店員が己の裁量でフタが閉まるようにしてくれるというのか。ホスピタリティは末端の店員にもある程度の裁量を与えることでもたらされるらしい。

スタバ、どこまでも資本主義の豚に快楽を享受させようというのか。(スタバでバイトしたことがある方は、ぜひぜひ絵やメッセージを施すことに関する店でのルールについてTwitterか何かで教えてください。)

「閉まらなくていいです」

店員に感謝しつつも、断る。

私は居座るぞ、邪神を崇め奉る連中がどんなものなのか、存分に調べてやる。

そうして受け取ったフラペチーノは、どこかこじんまりとしていた。おそらく、円錐台のカップに真ん中に穴が開いたドームのような蓋をかぶせた、SNSや広告で見てきたスタバの器でないからだろう。

まあ、許容する。こだわっていないし、そもそも私がタンブラーにフラペチーノを入れさせたのが悪いのだ。きっと。

潜入!オシャレ空間

着席

ついに着席のとき。オシャレ空間・スタバの住人となるのだ。

ここで、Macbook Airで作業する大学生、ベンチャー企業の若手、自己啓発/TOEIC880/英検2級/ビジネス/起業/の住処に向かう私の服装を見てみよう。

髪は朝梳いただけ、紺の長袖Tシャツ、ジーパン、スニーカー。いかにも無気力そうな恰好だ。オシャレ空間をぶち壊そうと思った訳ではなく、本当に普段通りだ。もし雰囲気をぶち壊すつもりなら、変な文字入りTシャツでも着て来ただろう。「一汁三菜」とか。こんな無気力スタイルでも、右手には、リピーター御用達のタンブラーに注がれた、資本主義のエッセンスを携えている。

見渡すと、空いている席が少ない。時刻は13時過ぎで、ランチが終わって2件目の人とか、単に暇な人とか、己がスタバ人間である自覚が欲しい人なんかがいっぱいいるのだろう。挙げておいてなんだが、2例目3例目は時刻全然関係ないな。

仕切りのない店内は歩き回らずともぐるりと一望でき、席探しに適していると思える。いや、カウンターからも一望できる。常に店が監視している。

その監視の目は客達に内在化され、己がオシャレではない行動をしないよう常に己自身を見張り続けるようになるのだろう。

スタバめ、オシャレなだけに見せかけて合理的に冷酷に支配を進めてくる。

ここで一つ気付くことがある。ここまで混んでいるのに、壁一面のガラス窓を向いたカウンター席も、室外のテラス席も、客はまばらだ。

なるほど。スタバでこれ見よがしにノマドワーカー振りをアピールする人々も、好き好んで作業風景を見せつけている訳じゃなかったのかもしれない。スタバが人気すぎて、あそこに座らざるを得ないことがある、または店の監視に少しでも抵抗をしようとする人々が座っていたということだったのか。

彼らが自意識に塗れたクソナルシストというのは偏見だったかもしれない。

とにかく、運よく空席を見つけた。小さな丸いテーブルで、片方が椅子、片方がソファの席だ。空席の左右のソファにお一人さまがかけているのを見るに、この席は二人掛けとはいえ一人で使ってもいいということだろう。そう考え、無事着席。混雑している店に気を遣うなら晒し席、もといレジスタンスシートを選ぶべきだったのだろうが、そんな度胸はないし、私はMacbook Airを持っていないから、絵的に失格だろう。

 

賞味~タンブラー持参の弊~

着席して罪を味わおうとして、あることに気付く。

周囲で泥をすする者たちの穢れた聖杯にはストローが刺さっているのに、私のタンブラーには刺さっていない。

あの店員、気配りができると思ったら詰めが甘いな。所詮は資本主義に心を売った者……などと一瞬考えるも、冷静になる。

タンブラー持参で割引される理由として、使い捨て聖杯の分のコストが浮くからというのもあるだろう。だから、ストローもコストカットのために着けないし、それも込みでの20円引きなのだろう。

暴利を貪っておきながら、変な所でケチ臭いな。まあ仕方ない。この程度のデメリット、20円引きと比べたら些細なものだ。

慌てず騒がず、なんか調味料とかが置いてあるところにストローを取りに行く。

スタバのなんか調味料とかが置いてあるところは、「コンディメントバー」と呼ぶそうだ。

なんだそれは。

Twitterのプロフィールに、UTlaw/予備試験/民法/コンディメントバー/TOEIC みたいに混入させても、きっと誰も気づかないだろう。

何でもオシャレにして、どこまでも人の自意識を刺激するつもりか。

ストローから紙の包装を剥がしてまた気付く。周囲のスタバー(今命名した)のフラペチーノに入っているストローは太い。新たな聖杯を用意させた者にだけ、特別なストローが与えられるのか。タンブラーを使いまわすような奴にはやらん、大量消費が導く大量廃棄、その破滅の行軍を加速させろ。とでも言いたいのか。いい度胸だ。私は貴様らには負けない。

覚悟を背負いつつフラペチーノにストローをぶち込み、吸う。

ストローが細いからか、やはり今一つフラペチーノの通りが良くない。

それでいい。こうやって労苦を支払うことで、アフリカの子供たちの味わう苦しみの一分でも味わえるだろう。知らんけど。

ここで予想外の事態が。

突然、私の口に資本主義の甘い汁が供給されなくなった。

何が起きたのか。ついに革命が起き、自由の王国が顕現するというのか。

否。

アフリカの子供たちの怒りと悲しみを思う私には、もはやこの邪悪な儀式を続けることはできなくなった。

などと言えれば良かったのだが、実際はなんということはない。

チョコチップがストローに詰まっただけである。

「だけ」とも言えないかもしれない。これは途上国の労働者たちの抵抗。

だが、もう出せないなどという言葉に騙されてはいけない。もっと絞れるだけ絞りとらないと。

この味を知ってしまった以上、毒を食らわば皿まで。

私は東インド会社だ。

もっと強く吸うが、なかなかうまくいかない。

押してダメなら引いてみろとばかりにストローを吹くが、それも功を奏することなく、ストローは沈黙。ならばもっと引いてやるまでと、腹筋に力を込め、ストローを吹いたそのとき。

「ぶぼっ」

という音と共に、ストローから気泡が。

まずい、粗相だ。オシャレなスタバーたちに嫌われてしまう……。

これは由々しき事態だ。

適当な身なりの男が、スタバでストローの音を立てている。白眼視されるに違いない。いや、高位信徒の証を持ちながらこの振る舞いというのをバカにされるかもしれない。

隣の席の女性に、「常連さんはやっぱりお上手どすなあ。うちのストローはうまく鳴りひんかて、やり方、教えとくれやす」などと嫌味を言われるかもしれない。

そんな心配をしながら、キョロキョロと周りを見る。

別に、誰も何もしてはいない。周りを気にしているのは私だけだ。

誰もが何事もなかったように過ごしている。自意識に囚われているのは邪教徒たちではなく、私の方だったのか?

誰も、人に見せるためにスタバに行ってはいない。女性は男に見せるために服を着ている訳じゃない論と一緒だろうか。いや絶対違う。それに「誰も」というのは主語が大きすぎるだろう。

とにかく、私の粗相を不快に思った人はいるかもしれないが、不快感を露わにした人はいなかった。

この後、またストローが詰まり、完全に機能停止したため、コンディメントバーからもう1本ストローを持ってきた。

ゴミが増える。大量廃棄への貢献だ。破滅に突き進め。

店員さんに頼んで太いストローを貰えば恥も環境破壊も無かったかもしれない。試していないから、そんなことが可能かは分からないが。

分からないので、とにかくブログを書き始めた。

邪教

この記事を書くと同時に、邪教徒たちを観察する。普段は人間観察などしないが、ここまでの文章でもわかる通り、初めての空間のせいで、周囲のすべてに好奇心をそそられている。

どんな人が居たか。 30台OLっぽいお姉さん集団、有閑マダム、女子高生。ソロの女性もたくさん。カップルもかなり多く感じたが、私が普段リア充空間に近寄らないからそう思うだけかもしれない。Macbook Airを開く若者もいた。

スタバでMacbook Airマンは本当にいたんだ!

以外なところだと、かなりお年を召したおじいさん二人組や、運動部のウインドブレーカーを着た女子高生(ソロ)なんかもいた。全然オシャレじゃない人もいるし、全国のスタバを見て回れば、中学生以上ならどんな属性の人もいるだろう。多分。

とりあえず、キラキラしてない人がスタバに来たからといって、瘴気を取り入れられずに苦しみ、浄化されて消滅してしまうようなことは無さそうだ。

あと、存外おひとり様は長居していかない。私が座ってから来店して、私より早く退店した人がたくさんいた。

二敗目

暫く過ごしてみて分かったが、外がよく見えるせいかどうも落ち着かない。

スタバでの活動について、私としては、「記事の執筆など、出力には向いているが、読書などの入力にはあまり向いていなそうだ」という感想を持った。もっと気分がページに乘っていれば気にならないのだろうか。

なんて思っていると、日が傾いてきたからか、男性店員がブラインドを下ろし始めた。きめこまやかな気配りに感心した。

いや、罠だ。人間を長時間スタバに捕らえて、もっと消費活動をさせようと。なんて狡猾なんだ。

いつの間にか、フラペチーノが無くなっていた。

解放されたのだ。

だが、果たしてそれでいいのか?

私がここを後にすると、私の居た席に他の無辜の民が座り、ブルジョワ趣味に汚染されるだけなのでは?

ダメだ。私はここに残って食い止めないと。

聖杯はクリームに塗れ、もはや穢れきったその本性を隠していない。それを手に取り、レジに向かう。中途半端な時間になったからか客も減り、レジまでに行列は無かった。

共犯者が居ないと、悪を働く身体が重く感じる。これが責任の重さか。別に、注文の手本が見られないから不安という訳ではない。

「ドリップコーヒーのトールで」

また罪を重ねてしまった。

本当は分かっている。どう言い訳をしても資本主義への敗北だ。私は性懲りもなく、己が良心を傷つけて悦んでいる。

今度の店員も多分女子大生だ。根拠は何も無い。

黒髪ショートで、色白だが厚化粧ではなさそうだ。チークは薄く、その一方でリップは赤かった。リップは赤いのだが全然けばけばしくはない。掘りは浅く、目はアイプチかもしれないが、二重に見える。可愛いんじゃないだろうか。というか、落ち着いた雰囲気ながら地味でない絶妙なラインで、私のタイプド真ん中だ。

彼女が生きているだけでチヤホヤされてきたかは分からないが、私はチヤホヤしてもいいと思う程度に可愛い。生まれついての顔ではなく、整形で手に入れた顔なのかもしれないが。

いや、ルックスについては記事にする以上女性のそれを貶すわけにはいないないからお世辞を書いているだけで、実際にはカピバラの擬人化みたいな顔だったかもしれないし、そんなでもなかったかもしれない。

とりあえず、顔は私好みだったことにしておこう。

顔は良くても、嬉々として小動物をいじめるような腐った性根なのかもしれない。彼氏はラクロス部かもしれないし、美術部かもしれないし、居ないかもしれない。もしかしたら彼女は未亡人なのかもしれない。適当に授業を聞いて、要領よく単位を取っているのかもしれないし、真面目に勉強しているのかもしれない。実家暮らしかはわからない。ましてや、将来の不安も他人への嫉妬も無いとは限らないし、それどころか天涯孤独で、自活のためにスタバで働いているのかもしれない。

何も分からない。

「あと、これ、洗った方がいい、ですよね、そこの流しで洗いはしたんですが……」

穢れた聖杯を見せつける。汚れがついたまま渡すのはなんだか申し訳なくて、コンディメントバーの横にあるシンクですすいだのだが、まだ汚い。

でも、ちょっと行動したくらいじゃ何も変わらないのが現実だ。

目を反らすな。店員。

弾力を失い、無残に内部にこびりつくばかりのクリーム。底に残り、捨てられるのを待つばかりのチョコチップ。

これが消費社会の帰結だ。

今でこそ飽きるほどモノが溢れているが、ありもしない差異を存在させるための無意味な生産のため、天然自然の資源は使い尽くされようとしている。そればかりか、消費社会は様々な手段をもって、だれもが同じ引き金で欲望を喚起するように嗜好を、ひいては思考を操作しようと企てている。CM、広告、有線放送などがその手段だ。資源がなくなるだけでなく、変革の方法を生み出す思考さえも破壊され尽くせば、社会の先細りを食い止めるものの誕生など望むべくもない。先細りの果ては、生きるための資源を奪い合い、誰もが飢えながら生き延びる、無残極まる未来だ。

「もちろんお洗い致しますよ。タンブラーの洗浄は無料で致しております」

え、すごい。至れり尽くせりじゃないか。私は何故わざわざ洗ってしまったんだ……?ストローの件に続けて、奇行に次ぐ奇行を働いてしまっただけなのでは……?私がタンブラーをすすいだお陰で店員の洗浄作業は楽になったかもしれないし、なっていないかもしれない。他の客たちはタンブラーを洗う私を嘲笑っていたかもしれないし、そんなことはないかもしれない。そもそも、すすぐのは何の意味もない行為だったのかもしれない。逆に、私が流した水によるわずかな下水の流れの変化が、テロリストが下水に仕掛けた爆弾を故障させ、何人もの命を救ったかもしれない。

無職のヒモを飼っているかもしれない店員が、穢れた聖杯を持って店のカウンターの奥のドアに消えた。

ドアの向こうでは、彼女がぼろを着て横たわる両親を起こし、タンブラーから指ですくいとったクリームを食べさせようとし、両親は「ごめんな、ごめんな」と泣きながら、力なく彼女の指を吸っているのかもしれないし、そんなことはないかもしれない。

しばらくして、私が渡したタンブラーの代わりに今用意した新しいタンブラーを持ってきたかもしれない店員が戻って来た。

レジの背後にある機械のレバーを操作して、実はもうコーヒーノキが絶滅してしまったからどこにも存在しないのかもしれないコーヒーとそっくりに合成した、それっぽい苦みと酸味を持ち、焙煎香を漂わせるだけの黒い汁かもしれないものをタンブラーに注いでいる。

注ぎ終わると、もしかしたら両手では数えきれないほどのパパの援助を受けているかもしれない、スタバ店員のコスプレをして紛れ込んだ一般人かもしれない店員が、黒い汁の入ったタンブラーを持って、いや、手に貼りつけていたのかもしれないが、カウンターの下でしなやかにのたうつ6本の足を絡みつかせながら、いや絡みつかせてなどいないかもしれないが、こちらに振り返った。振り返ってなどいなくて、頭の前後両方に顔がついていて、かつ、腕の関節を自在に動かせるのかもしれない。

「お待たせしました、ドリップコーヒーのトール、タンブラー値引きで334円ですね」

2005年のロッテ対阪神日本シリーズを思い出しているかもしれない店員が、カウンターにタンブラーを置く。いや、タンブラーは一ミリほどカウンターから浮いていたのかもしれない。それ以前に、このタンブラーは立体映像で、私がお金を払うまでは実物は出さないのかもしれない。

目を離した隙に偽物にすり替えられてしまったかもしれない硬貨を、宇宙人の生皮をなめして作られているかもしれない釣り銭受けに置く。

それから、クリームでギトギトのタンブラーを嫌々洗っていたかもしれないし、アリクイのように長い舌を伸ばしておいしそうにタンブラーを舐めまわしていたかもしれないし、バックヤードでスタバの妖精たちに囁き声で指示を出してタンブラーを洗わせていたかもしれない、私を見ながら変な客が来たと思っていたかもしれないし、あらイケメンなんてときめいていたかもしれないし、私を親の仇と勘違いし、抑えがたい殺意と戦いつつ機を伺っていたかもしれないし、無感情のアンドロイドかもしれない店員に、タンブラー洗浄の手間について言っていることが伝わるように、タンブラーを一瞥し、申し訳なさそうに肩をすくめながら、感謝を込めて、礼を言った。

「ありがとうございました」

感謝を込めすぎて、ドアの裂け目を覗き込むジャック・ニコルソンばりの、狂気を孕んだ笑顔になっていたかもしれない。

私はそんな顔をしたつもりは無いが、本当のところはわかったものではない。

「いえいえ、とんでもございません」

この程度の仕事にお礼なんてとんでもないと言う意味かもしれないし、手間かけさせやがるぜとんでもないクソ野郎さんという意味かもしれない。プリセットされた音声を再生しただけかもしれない。

わからないが、後の2つではなさそうな気がする。

根拠はない。

本当は私はエスパーで、最初の意味だと確定的に分かっているのかもしれないし、私は完全に狂っていて、何もかもポジティブにしか受け取れないようになっているせいで後の2つの可能性を排除してしまうのかもしれない。

席について飲んだ汁は、コーヒーの味がした。多分、コーヒーだ。

店を満たす喧噪がハンス少年のアンニュイな心情の描写を台無しにしていたし、油断したら店員に殺されるかもしれないから、「車輪の下」を読み進めるのは諦めて、全焼しているかもしれない家に帰ることにした。

今回のまとめ

  • スタバは資本主義の体現者
  • スタバで作業は一長一短
  • フラペチーノは甘くておいしい
  • コーヒーはコーヒーだ
  • 私は自意識過剰なのかもしれない
  • スタバの店員はサービスがいい
  • マイタンブラーを買ってさらなる消費をしよう

今回のまとめ

  • スタバは地球防衛軍の秘密基地かもしれない
  • カブトエビ飼育キットを売っているスタバもあるかもしれない
  • フラペチーノのせいで地球は住めない星になるかもしれない
  • コーヒーは多分コーヒーだ
  • 私の肉体は知らないうちに全部偽物に置き換えられているかもしれない
  • スタバの店員が人間とは限らない
  • 水は1気圧下では摂氏100度で沸騰する(今の所は)