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入院体験記 その5

翌朝、午前8時頃に配膳の声で眼を覚ます。どこに行ってもまずいと言われる病院食だが、こここの病院食は私はそれほど嫌いではなかった。出汁や胡麻、レモン汁をうまく使って、減塩しつつも美味しく食べやすくしようという配慮を感じた。という訳で、毎日の食事が苦痛ということはなかった。

食事を終えると、入院したことを人に伝えたくなってきたが、誰に伝えても徒らに心配をかけることは明白だ。なので、さしあたって業務連絡が必要なーー冬コミのサークル仲間のグループにメッセージを送った。案の定、とても心配されたが、作画担当は昼休みに職場で入院の連絡を確認して吹いたらしい。……いや、おかしかった(比喩)奴の頭がおかしくなった(物理)ら笑えるというのは事情のわかる者には理解できるのだろうが……。彼は吹き出したのを同僚に訝られた際、「友達が入院したらしくてさぁ」と簡潔かつ語弊がありすぎる回答をしたそうだ。当然、暫く職場でサイコパス扱いされたらしい。

 

この日は検査が目白押しだった。まずは病名の特定のため、髄液を採取した。髄液とは正しくは脳脊髄液のことで、脳漿とも同じだとWikipediaには書いてある。これの中に脳と脊髄が浮かんでいるらしい。詳細は各自調べて頂きたい。

これを採取する。どこから?腰から。腰から脊柱管(背骨の空洞)に太い針(0.65mmくらいだそうだ)を刺し、髄液を抜き取る(腰椎穿刺と言うらしい)そんなことしたら痛すぎるだろう?心配ない。局所麻酔がある。

散々怖がらせておいてだが、麻酔が効いてしまえば、針が背中を押す圧迫感こそあったものの痛みは全くなく、それほど苦しむことなく髄液を抜くことができた。宮崎先生が上手だったということの他に、体に針を刺されるのは学生時代14回通った献血で慣れていたというのもあるかもしれない。抜いた直後は何の不調もなかったが、髄液検査の本当の地獄は、後々存分に味わうことになる。

 

検査は続く。続いては視力検査だ。おなじみのランドルト環を見る検査のほか、視野の欠けを調べる検査をした。視野検査は、直径40cmほどの円形の布でできた、スクリーン様の装置で片目ずつ行う。この装置の中央にはムギ球より小さいくらいの光源が据え付けてある。被験者は顎当て、額当てで顔を固定するる。中央の光源に視点を固定したまま、試験者がスクリーンの反対側から投影する小さな光点を捕捉し、見えているうちはボタンを押し、視界から消えたら離す。こんな流れだ。シンプルな方法で確かに信用できそうだ。ただ悲しむらくは、人力で精度を高めていく故、問題がありそうな箇所は繰り返し試さざるを得ないこと。聞かれ方でなんとなく結果が予測できてしまうのだ。左下ばかり調べられ、はたして、両目とも左下の視野が欠けていた。

視野が欠ける、というのはとても恐ろしいことに感じるかもしれないが、実際のところ検査するまでは全くわからない。読者諸君も、「視野の外って何が見えてる?」と聞かれたら回答に窮するだろう。つまりそういうことで、視野の真ん中が欠ければ、そこが穴になっているように知覚されるのかもしれないが、周囲から欠けた私は全く違和感を覚えられなかった。

 

さらに聴力検査。これはお馴染みの検査だ。そして聴力検査は一昨日受けたばかりで異常が無かったし、聴覚の違和感は既に消えていたので、特に不安もなかった。実際全く異常はなし。

 

検査から帰ると、自宅を片付けてくれた両親から、ナボコフの「ロリータ」の文庫本についてやんわりと問われたが、文学であり不純なものではないと伝えると、それ以上の追求はなかった。

その後、改めて宮崎先生から両親と私に説明。今後の治療の方針について説明され、同意書にサインをした。藁にもすがる思いで、何の迷いもなく全てサインした覚えがある。

 

夕飯後、作画担当と通話した。至って真剣に私を労ってくれた。私は「頭がおかしくなった」と冗談を言う程度には明るく振る舞った。先述のサイコパスエピソードもこの時聞いたが、私にとっては硬直した心をほぐしてくれる物であった。しかしまずは差し当たっての問題、コミケ当日の参加が危ういという件を話さねばならなかった。だが、本題に入るなり猛烈な頭痛に襲われてしまい、通話を中断せざるを得なかった。いたく心配され、空元気は徒労に終わった。話していられないほどの頭痛なんて何年ぶりだろうか。数日前に襲ってきた頭痛よりも明らかに激しい痛みであった。